あせらない
私達人間は、何かをする時、何らかの理由で(この世のあらゆる誘惑、お金、地位、名誉など)自分の本心からズレた選択をしてしまうことがあります。その結果、やりたくないのにやらなければならない仕事が増えてしまったりすることがあります。それもある意味学びになるので、それでも構わないのですが、しかし、今生の限られた時間が少し勿体ない気もします。
実際、何を選択しても、それ相応の結果が顕現し、またそれは、その時の自分に必要なことが顕現しているのだと思います。つまり、きちんと対処しなければならないことだということです。要するに私達人間は、自分の意識状態に応じた生き方をしているということです。
私達人間には、”真にやらなければならないこと”があるのだと思います。それを忘れて、それからずれたことをしていると、”悩み、苦しみ、痛み、悲しみ、迷い”などの不調和が現れるのではないでしょうか。そんな時には判断に雑念が入りやすくなるのだと思います。
例えば、仕事を選ぶ時に、自分の本心を確認しないで、誰かの為にとか、少しでもお金になるものとか、カッコいいとか、カッコ悪いとか、社会的地位が高いなどと言われていることなどに惑わされ、その仕事内容が”今後の自分の時間をどの様に配分することになってしまうのか”などということをよく確認しないで、そのまま進んだとします。その結果、本来やるべきことに配分しなければならない時間が無くなってしまったりするのです。そして、いつも何かに追われて焦り続けたりするのです。
一人一人の生きている理由にもよると思いますが、私は「物質をつかむための人生ではない。命を自覚する為の人生である」と思っているので、真の自分(命)を自覚するために配分しなければならない時間を一日にできるだけ少しでも取れるようにしなければならないと考えています。兄弟姉妹のために昼間は働き、夜は自分の真我覚醒、本質との融合の為の明想の時間にあてなければならないと思い始めています。
ある時、私も少し雑念が入ったことがありました。それは、再就職活動時の出来事です。私は、上記の様に生活しようと思っていたのに、家族とのやりとりの中で少しでも楽をさせたいとの思いからあまりやりたくないのに少しでもお金のいい仕事に就こうと気持ちがあせってしまい、その様な気持ちのまま面接の予約を入れました。その後、一日中何だか落ち着きません。自分の本心を確かめる為に何度か明想をしました。そして出てきた答えは、「物質をつかむための人生ではない。命を自覚するための人生である」でした。次の日面接の予約を取り消しました。それでまた家族を不安にすることになり、自分もその気持ちに同調してしまったかもしれません。また初めからやり直しです。しかし、時間配分のことを忘れない様にして次回からは取り組めると思います。これも学びです。
私の本心は、”何をさて置いても真理の追求”
ということです。これが一番大切なことだと思ってます。でも、この世にはこのことを忘れてしまうほどの誘惑が非常に多いのです。
因みに、今言ったことは、私の今の思い、意識状態からの言葉です。ですから、これが正しいとか間違っているとかの話ではありません。それぞれ一人一人がよく考えて、一瞬一瞬幸せになる選択をすればいいと思います。何が幸せなのかの基準もその時の意識状態で一人一人違います。要するに、人生とは、自分でしたことの結果が次々と現れてくるだけで、またそれに対して自分がどんな選択をするかという繰り返しをしているということだと思います。だから、原因は我が内にありということなのだと思います。
私は、自分の外側からの要因で迷ったり、惑わせられない様にして、自分の内側にある本心をよく確認して、思いや言葉や行為を表現していきたいと思います。そしてそれが”あせらないこと”に繋がる様に思うのです。
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