あるがまま感謝して生きる姿

意識

あるがまま感謝して生きる姿
 私は、毎朝約一時間程散歩に出かけます。今日も、いつもの様に出かけたのですが、いつものコースの半分くらいのところに来た時に、鳥の囀りがすぐ横の茂みから大きく聞こえてきました。一旦通り過ぎたのですが、かなり元気よく鳴いてるなと思って、すぐに戻って茂みをよく見てみたら、三羽の雀が、きちんと並んで元気よく鳴いていました。そのうちの一羽は、すぐに茂みの奥に隠れてしまい、二羽はそのまま残り、横に伸びた太い茎の上にきちんと並んで、また元気に鳴いていました。でも、私に気付いたら、静かになりました。(上の写真がその時のものです)そして、どうしていいか分からない様子で、こちらをじっと見つめていました。首を少し傾げる仕草が可愛らしくて、「おはよう」と声をかけたら一羽が飛んでいってしまいました。(下の写真です)あまり驚かせても可哀想なので、そっと、そこを去ろうとしたら、最後の一羽が私の方へ飛んできて、すぐに左の草むらに降りていきました。よく見ると、やっと飛べるようになったばかりの三羽の小鳥達だった様で、その飛び方も、おぼつかない様子でした。どうりで、あまり警戒心が無く、こちらをじっと見たり、首を傾げたりするわけです。なんだか、今日は、朝から素晴らしいものを見せて貰った気がしました。
 この地球上には、たくさんの生き物が暮らしています。動物、植物、鉱物、微生物、など全てのことです。そのそれぞれが、あるべき姿で一生懸命そのままの自分を生きています。その姿を見て、人間は何かを思い出したり、学んだりできるのではないでしょうか。彼らは自然の摂理に則って生きているのだと思います。地球を支配するとか、好きな様に削ったり、掘り返したり、埋め立てたりしません。地球に生かしていただいているという感謝の念を持って、伸び伸びと生きている感じがするのです。
 私は、今日の雀たちを見て、昨日ネットで見た、ある自称”エリート”だったと思いますが、その人が言った言葉を思い出しました。それは、「地球を鷲掴みする様な力を持つ」です。これを聞いたときに、あまりの傲慢さに軽い眩暈を覚えました。なんて対照的な生き方でしょうか。それを思い出して、私はなおさら雀の姿が素晴らしいと思いました。昨日書いた、陰と陽のバランスの話にあるように、自称エリートは陰に偏りすぎて闇が深くなってしまった状態で、今日の雀たちは、陽に向いてて、光の状態の様な感じがします。もちろん、良い悪いではないですが、自称エリートは、あまりにもいろいろなことを忘れすぎてしまい、それを思い出せないでいるのでしょう。そっちじゃないよと言いたいですが、自称エリートは自分で気付かないといけませんから、何も言わず、お祈りしたいと思います。以前、「愛を送る」で書いた様にです。

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