お役目 極闇-中間-光

意識

お役目 極闇-中間-光
 世の中には、マッチポンプという言葉があります。主に、自分の意向を通す為や実現する為に芝居をしたり、または、お金を稼ぐ為に、意図的に需要を作り出したりすることです。場合によっては人の命に関わる事をする人達までいる様です。病気を作り、薬を売るという様なことです。その様なことに引っかからない様にするには、どうしたらいいのでしょうか。
一つ目は、自分の欲を必要以上に持たないことと、その欲をコントロールすることです。
二つ目は、それらの動機を見抜くことです。
三つ目は、最低限の付き合いにする事です。これは、どういう事かというと、場合によっては、付き合いを避けられないものもあるからです。例えば、コンピュータウイルスは、ある人がそれをばら撒いて、その人がウイルス対策ソフトを売るみたいなことがあるとの見方もあります。いわゆる自作自演というものです。これなどは、素人が、自分ではどうにもできないことの方が多いでしょうから、ソフトを買わなくてはならないことになるでしょう。もしくは、コンピュータやスマホを持たない使わないという選択肢もあります。実際にそうしている人はいますが、無くてもあまり困らない様子でした。
 私は、この三つをすべてやっています。一つ目については、最近、本当にこれが欲しいというのがなくなって来たので、欲のコントロールは出来てますので、まあ大丈夫かなという感じです。
二つ目は、やはり、本当に欲しいものがあまり無いので、いくらセールスされても、またメールでフィッシング詐欺が来ても、関係ないから速攻で削除してます。たまに見る事がありますが、精巧に作られている様ですが、よく見るとなんとなく変だなと分かります。たまに、誤字脱字があったり、おかしな日本語を使っているので分かるという感じです。何かアプローチがあったら、一呼吸置いて、よく見て、考えれば、だいたい相手の動機が分かります。
三つ目は、例を挙げたら結構あります。こんな事書いたら嫌がられるかもしれません。例えば、私も昔はヘビースモーカーでしたが、そのタバコは、明らかに体に良くはないと思います。それを販売して、一方では薬を売るなどというのは、よく考えると、「ん、なんか変だな」と感じるのではないでしょうか。食品会社も、消費を促しながら、一方では、ダイエット関連のものを販売したりしています。私は、これらのことを、もちろん良い悪いと言うつもりはありません。
この一つ目から三つ目までに共通しているのは、自分の欲などを、コントロールができるか、できないかだと思います。
まずは、その時その時に、自分が好きな様にやってみて、何かに気付くことが大切なのだと思います。
例えば、食べることに関してですが、人は、個体差がありますから、たくさん食べても大丈夫な人や、一日一食で大丈夫な人など、いろいろな人がいます。なので、自分はどうなのか、実際にいろいろやってみて、自分に合うものを見つけたらいいと思います。
因みに、私は、昔は一日五食の時がありました。その結果、すごく太り、体調がおかしくなりました。それでも、美味しいと感じるうちは、そんな生活を続けました。そしてサプリメントを飲む様なことを散々やりました。ところが、あるきっかけで、断食をしたら、体調がすごく良くなり、頭もクリアになり、それで、あまり食べなくても大丈夫なことに気付きました。それで、今は一日、一食か二食です。それからは、健康診断の結果は、ほぼ満点です。今は、その健康診断というのもあまり気にしなくなって来ました。やはり、自分の体は正直だと思います。体が発している声を意識して、それに応える様にするのが一番良さそうに思います。これが、私がいろいろやってみて辿り着いたことです。
要は、たくさんある選択肢の中から、自分がどれを選ぶかです。その選んだものが次につながり、その結果が目の前に現れるということです。いろいろやっているうちに、これをしたら、こうなる、あれをしたら、こうなるという事が次第に分かるようになります。
これが、私がいつも言っている、自由意思の尊重と選択の自由ということです。私達にはこれが与えられています。瞬間の判断は自分で選択しています。言いなりになってしまっていると感じても、実はそれを選んでしまっているということです。本当に嫌だったら、拒否すればいいのです。
しかし、そうは言うものの、私も、他の人を見ていて、危ないなとか、ああ、騙されてるな、などと感じて、手を差し出したり、口を出したりします。余計なことかなと思いながら、ついやってしまうのですが、うるさい、ほっといてと言われたり、迷惑がられたりで終わる事が多いです。たまに、人に迷惑がかかると分かっていて、あえて、それをやろうとしている人に気付くことがあります。そういう時には、どうやって言ったらいいものか考えてしまいます。いろいろ考えて実行すると、余計なことに巻き込まれたり、身の危険を感じたり、余計なお世話と言われたりで、少し面倒なことになったりします。
そんな事を何度か経験すると、”その人達は、それらのことを通して、お互いに、何かの学びを得ようとしているのかもしれない”と感じる様になりました。だから、ある程度話したら、それ以上は何もしない様になりました。結局、”自分の救い主は自分”だということです。自分で気付かないと何も変わらないのだと思います。自分の感情を変えられるのも自分だけです。それで、他の人を助けようとするのは、傲慢なのかもしれないと思う様になりました。それでもやってしまいますが。
私達が選択できる範囲をあえて設定してみると、”極闇、中間、光”という範囲なのかもしれません。その人が今何に惹かれるのか、そこのバイブレーションに同調して選択するのかもしれません。光側から見ると、「(そっちは)闇の方は辛くて、あまり行かない方がいいと思うよ」という感じで、「そっちじゃないよ、こっちへ戻って来て」とやっているのかもしれません。私達人間は、もしかしたら、その繰り返しを、ずっとしているのかもしれません。全員が、役どころを交代しながら、それを一通り経験しているのかもしれません。「こんな事経験したいから、ここで、こんなことしてくれる」なんてことをやってるのかもしれません。これも見ようによっては、マッチポンプ(自作自演)ではないでしょうか。
 私達人間は、”この様な世の中で、この様に暮らしてみたい”と思ったら、それを実現する為には、どうすればいいのでしょうか。たぶん、それを実現する為には、たくさんの気付きを得る必要があるのだと思います。その集合意識のレベル(闇側の比率が高いのか、光側の比率が高いのか)に応じた世の中が出来上がっていくのだと思います。今の世の中も、誰かが勝手にいきなり作ったのではなくて、今までの、私達人間の、長い間の自由意思の尊重と選択の自由に基づいた行動の結果が現れているのだと思います。
私は、これからも、平和な世の中になる様に瞬間瞬間の選択をしていこうと思います。しかし、他の人に対して、手取り足取りすることは控えめにしたいと思います。その人の学びの邪魔になるかもしれません。だから、これからは、少し心配だと思ったら、「そっちじゃないよ」と心の中で言ったり、お祈りして行こうと思います。

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