きっかけ

意識

きっかけ
 人は、悶々として過ごす時期というのを、誰しも経験すると思います。辛いながら、もしかして意外にも、そんな状況を楽しんでいるのかもしれません。後から思うとそうだったのかもしれないという意味です。
でも、その時は真剣に思い悩んで、突破口を見つけられず、何をどうしたらいいか分からないまま、成り行きに任せて生きている感じだと思います。出口が全く見えず、行き止まりにいる気持ちになっているときです。次が無いと感じている時です。そういう時はどうしたらいいのでしょうか。
そのまま、成り行きに任せるのもいいのかもしれません。なんとか、耐え忍んで、日々を過ごし、その状況が過ぎ去るのを待つという経験も貴重なものかもしれません。たぶん、凄く貴重な期間なのだと思います。そんな、何やっているんだろうみたいな時も、間違いなく自分の糧になっているのだと思います。
この様な状態の時というのは、意識を凄く狭いところに置いているから、そう感じるのです。そして、意識を置く場所を変えると、一気に視界が広がった様に感じ、解放感の様なものを味わえます。何かを悟った感じがします。何かに、気づくとその状況は終わります。その一定の期間、時期というのは、その何かに気づく為の、状況設定だったのですね。言い換えると、舞台セットです。
そして、またしばらくすると、壁にぶつかりまたまたどうしていいか分からなくなります。次の気づきを得るための、新しい状況設定の始まりです。人生はこれの繰り返しなのかもしれません。
“何となく悶々とする時期”とはどういうものなのか、一つの例を挙げるとすれば、誰もが経験する”青春期”などが、具体的状況をイメージするのに、分かりやすいかもしれません。なかには、そんな状況をずっとやっている人もいるのではないでしょうか。
因みに、藤井風さんの”青春病”という歌があります。その中で、「青春とは、儚く、壊れて、粉になって、散るだけ」の病と描写しています。その時期の心境を上手く歌っています。やはり、彼は、普通の人ではないかもしれません。今の世の中のこのタイミングに必要だから、生まれてきた人なのだと思います。送り込まれてきたという感じでしょうか。とにかく、歌詞の内容の深さに関心してしまいます。あの年齢で、あの様な歌詞を書けるのは凄いと思います。やはり、彼は、何かの啓示を受けていると思います。でなければ、あんなに本質を捉えた詩は書けないと思います。他のいくつかの歌にも非常にスピリチュアルなものを感じます。
いずれにしても、人の一生とは、いくつか”気づかなくてはならない事”があり、その一つ一つに気づくまでの舞台セット、設定があり、気づいたら次へ、また気づいたら次へと進むのだと思います。今生で時間切れになったら、また次の何処かでの生で続きをするのだと思います。地球では、記憶が消されて、前の事を忘れていますので、「何でこんな思いをしなくてはならないのだろう」となります。でもこれでいいのです。今に集中できますから。そして、これを繰り返して行くにつれて、意識が拡がっていくのだと思います。タデウス・ゴラスさん曰く、スペースの拡がりというものです。そして無限に拡がったら大元と一緒になるということなのでしょう。私達は、その気づくための”きっかけ”を、いろいろ設定しているという訳です。しかし、いつどこでの”きっかけ”で気づくのか分からないから、何度も何度もたくさんのセットを、いろいろな場所を選んで設定しているのだと思います。だから、どんな経験も無駄はないのです。早く楽で愉しい境地になりたいものです。
しかし、どんどん気づいていったら、どの様になるのでしょう。楽しみです。

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