すべてを愛するということ

意識

すべてを愛するということ
「すべてを愛することなどできるのだろうか」
 この様に思っている人はたくさんいるのではないでしょうか。もしかしたら、ほとんどの人がそう思っているのかもしれません。
例えば、あんなやつ大嫌いとか、あいつだけは許せないとか、存在自体消したいなどと思う人がいるとします。その様に思ってる人を愛すること自体無理だし、何を言ってるのか全く意味が分からないと思うかもしれません。では、なぜそう思うのでしょうか。それは、自分の中に根強い分離感があるからだと私は思います。
この分離意識とは、私達人間がこの世の中のあらゆるものを、”自分の肉体の目”で見た時感じているものです。例えば、男と女とか、日本人、韓国人、中国人、アメリカ人、ドイツ人、フランス人などと感じる見方や、または、白人、黄色人、黒人などと感じる見方、また、金持ち、貧乏人、庶民、貴族、皇族、権威者などと感じる見方や、その他諸々すべてに対して様々な区別をしており、自分とは全く別の存在だと見ているのではないでしょうか。もし、この分離意識だけで生きてるのであれば、確かに、”私とあなたは違う”となるでしょう。
しかし、その様な分離意識ではなく、”すべては一つの命に生かされている”という本質を感じ観る生き方ならどうなのでしょうか。
本質とは自分の真の姿であり、すべての真の姿のことです。それは愛一元、または全一体ということです。つまり、すべては一つの命に生かされており、その見えている姿、形の素材も一つです。すべては一元の命の表現体ということです。愛一元、全一体ということは、その許せない相手も自分であるということなのです。許せない、嫌いと感じている人も、自分と意識の置き場所が異なるだけの一体の存在です。意識の置き場所はそれぞれが自由意志で選択しているのです。何かに執着していればなかなか今の意識を変えることはできません。そんな時は、自分の本質を見失ったり、迷いの深い状態です。その様な時には分離意識が強いが為に、全一体の境地から離れたままでいるのだと思います。故に、すべてを愛すなどということが分からなくなっているのではないでしょうか。でも、その様な人でも、少しずつ全一体の境地を思い出し始めると(自分自身を思い出すこと)、すべてを愛するという意味が徐々に分かるようになってくるのだと思います。
因みに、ここで言う愛するとは男女間の愛を言っているのではなく、他を生かして生きる(完全調和)という意味で言ってます。タデウス・ゴラスという人(なまけ者の悟り方という本の著者)は愛するとは”スペースを共有すること”と言っています。「共に一元なる愛の中に存在していることをきちんと認識する」ということを言っているのだと思います。
では、実際にすべてを愛するやり方にはどの様なものがあるのでしょうか。
私達人間には、思うこと、言葉にすること、行為で示すこと、この三行為があります。つまり、愛するということを相手にとって一番適切であろうと思われる方法をこの三行為から選んで表現すればいいのだと思います。
例えば、自分と違うところに意識を置いている人に対しては何を言っても反発されるだけということにもなりかねません。その様な人には黙ってその人の喜び幸せを願うのが適切かもしれません。意見が違うからと言って、嫌ったり、憎んだり、争ったりしても仕方ありません。”元々スペースを共有している”のですから。これはつまり”思い”で表現するという方法です。私もある話題で話をすると、私の見方がおかしいと激昂してしまい、まったく会話にならない人がいました。この件だけに限らずどうやっても相容れない人はいるものです。だからこそこの世は素晴らしい学びの場でもあるのだと思います。意見は人それぞれいろいろあっていいのです。自由意思、選択の自由があるのですから。
次に、言葉にして伝えた方が適切な場合もあります。それは、お互いの思いが雰囲気で分かっていても、あえて言葉にして言ってもらい安心したい時などでしょう。
そして、行為で表現した方がいい場合もたくさんあると思います。労り、思いやりなどを行為で示すということです。
そんな三行為ですが、注意も必要です。なぜなら、上辺に騙されることもあるからです。つまり、人の思いはどうであれ、言葉、行為では如何様にでも取り繕うことはできます。例えば、嫌いな相手に好きですと言ったり優しくしたりすることがあります。この様な騙し的なことは自分の心を汚すだけなのでやめた方が良さそうです。他の人がそうであっても自分はやらないということです。純粋に労わり思いやる心であることが重要です。この選択が、生かして生きること、つまり、愛するということです。そして、何を選ぶかは人それぞれ選択の自由です。どれを選択するかで自分が放つ波動が変わります。愛の波動なのか、騙しの波動なのか、その選択した思いにより放つ波動が変わります。
世の中には、これらの波動を感じ取ることができる人もいます。でも、ある程度は全員が感じています。例えば、”あの人なんとなくいい感じ”とか”この人なんか合わない”などと感じることがあるのではないでしょうか。そんな時は何かしら波動を感じ取っているのだと思います。
いずれにしても、最高の波動は愛の波動だと思います。他を生かして生きる思いを選択することです。絶対調和の思いです。これが元々の私達人間の波動です。つまり、本質の放つ波動です。
私達人間はすべてとスペースを共有しているのです。全一体なのですから。要は、”すべてを愛すること”ができるかできないかは、それを(全一体であること)きちんと認識できるかどうかなのだと思います。

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