ふたり
「ただ一度だけの二人を生きる。」
夫婦、パートナーなどとの、今生での時間のことです。これは一度きりしかありません。全てそうなのですが、特に密な時間かと思います。今の名前の自分を経験できるのは一度だけです。そして、また次は設定を変えて続きを経験するのです。そう思うと、一つ一つの生とは、何て愛おしい時間なのでしょう。
地球の法則の元で、肉体を借りて経験することは本当に貴重なものです。そこでの条件として、肉体を使う、期間限定の命、自由意思、記憶を消されるなどがあります。そしてその一生で、出会う人はたくさんいます。その中でも共に生活をする、夫婦、パートナーの存在は大きいと思います。自分の本質にとって大切な経験をするために選んでいるのだと思います。仲が良くても、喧嘩ばかりする関係でも、二人で繰り広げられる毎日は、とても大切なものだと思います。別れる事になっても、それも一つの大切な経験です。自分に必要なことをしているのです。
夫婦やパートナーの関係を結ばない人も、いわゆる独身の人などにも、男女関係なしに、なぜか、近くにいる人や、長く関係が続いている人というのは、いるのではないでしょうか。ご縁がある人なのだと思います。
“袖擦り合うも他生の縁”と言いますね。他生(どこか前の生)で何かしらの関係があり、そこでやり残した事を今生でやろうとしているのかも知れません。前は、夫婦の関係で、その前は叔父と姪の関係、その前はライバルの関係など、いろいろな関係の元、密な経験をしているのかもしれません。
私も何となく気になる人はいます。道で、すれ違っただけなのに、妙に気になる人でしたが、なぜか度々目にするのです。しかも、いろいろな場所でです。何だろう、という感じでしょう?しばらくたってから、ふと入った居酒屋で、その人にばったり会って、呑み仲間になったなんてことがあります。その人は、仕事は何をしているのかとか、その他の情報は全く分かりません。でも、こういう人は、他にも場面は違いますが、います。関係が続く人もいれば、自然に離れて行く人もいます。それでいいと思います。感謝して、それぞれの道を行けばそれがいいのだと思います。その時その時の自分の学びのために協力してくれたのだと思います。お互いがです。だから、サラッといけばいいのでしょう。そして、次の場面がまた現れます。
ただ、夫婦やパートナーの様な、一緒にいる時間が一番多いと思う関係は、別格な様な気がします。そう思わざるを得ないことがたくさんありました。なので、一緒にいる時間が長い人とは、やはり意識的に楽しい時間にする選択を毎瞬した方がいいと思います。私もやっと出来るようになったと思います。よく一緒に居てくれたななどと思うときがありますから。本当に、いろいろやらかしまくったと自分でも思います。
でも、無理に関係を保つことは、しない方がいいと思います。どうしても無理と感じるくらいズレてしまったら、それぞれの道を行く方がいい場合もあるでしょう。自由意思の尊重、選択の自由、個の独立と融合、これが大事ですから。これをきちっとやると、かなり辛い場面が来る時があります。別れる時などです。だから、その時に我慢出来なければ、感情に流されてもいいと思います。また、やり直せばいいじゃないですか。すみません、無責任な事言って。
地球でしか味わえない、好きな人に対する密な感覚は貴重かもしれませんね。
それが、ただ一度だけの二人を生きるです。
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