ニセモノとホンモノ

意識
ニセモノとホンモノ
 「あなたの反応の仕方であなたの心の組み立てられ方がわかる。なぜなら真理は組み立てられるものではなく、反応ということもないからである。自己限定によって反応するのは心である。」(ある聖人の言葉)

この言葉は、”私達の本質は真理そのものであり、それは組み立てられるものではなく、造られざるものであり、すべてのすべてなのである。故に、反応というものはなく、したがって、反応するのは造られしもの、つまり自ら造り上げた条件反射等により組み立てられた心、私達の偽我なのである”ということを言っています。私達人間は、実はすべての本質なのです。それなのに自ら造り上げた条件反射に縛られ、目に見える様々な仮想に意識を向けて悩み苦しみ、迷い生きているのです。それから脱する為に、様々な聖典などの書籍を読み漁ったり、講演会などで他人の話しを真に受けたりして、さらに多くの観念を溜め込んで、ますます迷妄を深めてしまっているのです。しかし、大切なのは、”教義の解釈ではなく、魂の自覚”なのです。外に師を求めるのではありません。なぜなら内にこそ唯一の師がいるからです。それが神我(真我)、ホンモノです。

 私達は、毎日、家庭、学校、会社、駅、バスの中、電車の中、道端ですれ違う時など、多くの人と対しています。その様な時、自分の意識に入って来た人に対して、自分はどの様な思いを抱き、どの様な想念を思い描いているか意識したことがあるでしょうか。あらためて意識した時、それは、どの様な思い、どの様な想念でしたでしょうか。
例えば、外国人を見た時、「あ、アメリカ人かな」とか「中国人かな、韓国人かな」とか、または「中東系かな」、「アフリカ系かな」などと見た目や様々な過去の記憶を元に判別しようとします。判別した時に抱く感情はどの様なものかあらためて意識してみると、自分に根付いている区別、差別などの思いに気づくと思います。また、意識に入って来たその人の表情や雰囲気から受けるものに対して抱く思い、感情もいろいろあると思います。綺麗だなとか、醜いなとか、なんか気に入らないとか、なんか惹きつけられるなとか、なんか嫌だなとか、思いはいろいろあると思います。その様な自分の気持ちを意識した時、”あ、こんなことではいけない”と葛藤することも多々あるのではないでしょうか。その様な葛藤などという”対立”というものは真理にはないのです。全一体だからです。その様なものは心の中にしかありません。本質(真理)には反応というものが無いからです。
しかし、私達人間には、五感、感情、理性、心が与えられています。それらは肉体、思い、言葉、行為を通して表現する為に与えられている道具です。それらを通して私達人間が表現しているものは、一人一人違います。なぜなら、魂の成熟度合いが違うからです。
表現の違いとは、人と対した時に、ある人は嫌悪感や警戒心を抱くことが多いとか、ある人は、なぜか初めに敵意を抱くことが多いとか、またある人は、逆に善意を抱くことが多いとか、さらに、なぜかいつも、イライラ、怒り、蔑み、勝ち、負け、嫉妬、優越感、劣等感、親近感、疎外感などを抱くことが多いなど、それはそれはたくさん抱く思い、感情等の表現の違いがあるのではないでしょうか。その時抱いた思い、想念、感情、反応の仕方が自我なのです。自分の心を組み立てているものです。それがその人そのものです。そして、これらが偽我という”ニセモノ”なのです。つまり、実在するものではないということです。私は、これらが悪いと言っているのではなく、それらを正見、正知することがとても大切なことだと思うのです。それらの偽我をきちんと認めることにより、それらに惑わされない様になるということです。

 誰にでも嫌だなとか苦手だなと感じ思う人がいると思います。学校でも会社でもサークルや近くのコンビニの店員など、あらゆるところであらゆる人にいろいろ感じ思っているものです。過去に嫌なことを言われたり、または、自分の都合に何故か合わないことが多いと感じる人だったり、仕事のやり方などを見ていてイライラする人だったり、話し方、食べ方、歩き方、生き様などに対していろいろ感じ思うことなど、例を挙げたらキリがないくらいたくさんあると思います。
では、なぜその様に感じ思うのでしょうか。それは、自分の心にある、”自分で造り上げた様々な基準”に縛られているからです。繰り返しますが”自ら造り上げた様々な基準”に縛られているのです。つまり自縛しているということなのです。これら自ら造り上げた様々な基準をもとに、今目の前にいる人を、裁いたり、咎めたり、貶しているということです。逆に、その自分の基準に合えば褒めたり、好きな人としたりします。この”基準”が今の自分の心を造り上げているものです。それらを元に裁いたり、褒めたり、心の中に”含み”を持ったりするのです。また、”もやる”というものを持つのです。
私達人間は、これらの基準を元に、様々な物事に対して一人一人独自の反応をしながら生きています。この反応の仕方を見極める事ができたら自分自身が分かるのだと思います。この反応、またその反応の基準になるのがニセモノなのです。偽我というものです。
私達人間は、様々な本を読んだり講演を聞いたりしてたくさんの観念、概念を取り込みます。そこで取り込んだものを元に、ああでもないこうでもないと裁いたり、咎めたり、貶したりしているのです。こんなことを毎日毎日繰り返して偽我を強固なものにしているのです。なぜそう言えるのかというと、ホンモノ(神我、真我)は反応しないからです。ホンモノには調和しかないからです。愛と慈しみしかないからです。私達人間の心の中には、人種、国籍、仕事、男女、住所、学歴、身長、容姿、身分、特別感、権威など挙げたらキリがない程反応の要素はあります。これらすべてがニセモノ(偽我)です。これらが悪いと言っているのではありません。自分の心の中にあるこれらのものを、きちんと認識し、理解し、自分が何によって構成されているかを把握することが大切だと思うのです。本質にはこの様なものは無いのです。本質にあるのは愛と慈しみだけです。なぜなら愛一元だからです。

冒頭の言葉を繰り返します。

「あなたの反応の仕方であなたの心の組み立てられ方がわかる。なぜなら真理は組み立てられるものではなく、反応ということもないからである。自己限定によって反応するのは心である。」(ある聖人の言葉)

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