ルーティンを手放す
自分がなんとなく毎日やり続けていることが、知らぬ間に”権力大好きチームの策略”に沿った、世界の多くの人々に大迷惑をかけるものだったと気付いたらどうしますか。具体的に何であるかは言いませんが、その様な策略は今も現に行われています。意識を切り替えて手放すことができるでしょうか。自ら意識をすぐに切り替える人、しばらく考えてからという人、または、その”権力大好きチーム”に入り、お金、地位、権力を得ようとする人など様々だと思います。
たぶん多くの人は、日々食べる為にとか家族を養う為にお金がいるからなどの理由で、すぐにはやめられないかもしれません。その様な事情で、仕方なく嫌々ながらも続ける人が多いのではないでしょうか。それらの中で何を選択したとしても、それもその人の選択ですから良いも悪いもないのかもしれません。因みに私は、それ(策略)に猛進(盲信)している会社に気付き、これ以上加担するのが嫌で身を引く選択をしました。
一瞬一瞬自ら選択した思い、言葉、行為は、それぞれが持つ波動(嘘、強制、思いやりなど様々なものが持つ固有の波動)を放ちます。それらの波動はすべてに影響を与え、いつか自分に戻ることになるのだと思います。これは”蒔いた種は自ら刈り取る”とも言われてます。”権力大好きチーム”の様に自分達の都合の為に他人の喜び、幸せを全く顧みることもなくやりたい放題したなら、その思い言葉行為が放った波動はすべてに大きな影響を及ぼし、禍をもたらします。そしてそれはいずれ必ず自らに戻ってくることになります。それは今生なのか、来世なのかは分かりませんが、完全法則に基づき刈り取りさせられるということです。言い方を変えると”背負いきれないカルマ”をその様な人達は背負うことになるということです。そうならない為にも早く気付いてもらえる様に祈ります。
平和な世の中というものが、何をするにしても基本になります。その平和を維持する為には、”互いに思いやる、他人に強制することが無い”ということが重要になります。一人一人が世界の人々の幸せ、喜びを願うことです。お互いがそうする世の中になれば自ずとどの様な地球になるか想像できると思います。今までの様に、何でも自分のものにしようと取り合えば何も変わらず、落ち着いてやりたいこともできない世の中が続きます。
私達人間は、自分の都合の良し悪しのために様々な理屈をつけて、自分や家族や仲間達だけの利になる様に思い行動し、混乱を自ら作り出し続けて来ました。例えば、お金を手に入れる為、ものを手に入れる為、権力を手に入れる為、名誉を、などなどたくさんの惑わせるものがこの世にはあります。その様なものに惑わされない為には、自分がこの世に生まれて生きる真の理由とは何なのかということをきちんと認識しなければならないと思います。その認識するという行為をできない様にする為に、長い間様々な妨害工作をし続けている人達(権力大好きチーム)がいるのも事実です。そんな工作に惑わされない様に、自己改善の努力を継続したいものです。そんなものに惑わされず従う人がいなければ、いくら工作してもうまくいきません。
“きちんと識別せずなんとなく”というのが危ないのです。例えば、テレビが言ってたからとか、偉い教授が言ってたからとか、有名人が言ってたからなどと、”きちんと識別せずなんとなく”毎日やり続ける意識ならば、彼らの思惑通りになるのです。自分の違和感を意識することがいかに大切か分かると思います。
でも、もうしばらくしたら、今ここで私が言っていることがどういうことなのか、すべての人達にきちんと知らされる時が来ると確信しています。
また、自らを正そうとして意識を変えて行動する場合、例えばその行為が、会社などの今までの在り方を変えてしまうことだったら、多くの上司や同僚や部下などの抵抗に遭うものです。”なんだあいつ偉そうに”とか”仲間を裏切るのか”などの中傷に遭ったりします。そして、孤立を恐れて、自己修正、自己改善をやめてしまう人も実際にたくさんいます。
でも、そこで自らを変えなければ世の中も変わりません。一人一人が変える意志を持ち、誹謗中傷などに耐え、進む勇気を持ち、それらを続ける努力が必要です。これが自らを変えるプロセスです。これにより心が磨かれて行き意識が高まります。特別なことをするのではなくて、今いる家庭や職場の中で自己改善の努力を一人一人がし始めれば地球は変わります。誹謗中傷などの困難が伴う可能性が高いですが、同調してくれる人もいます。
私達人間は、”あると認めたもの”から影響を受けます。しかし、あるのは愛です。他を労り思いやり生かす意識です。これ以外は仮想です。これが理解できる人はその境地に至る努力をし始めてみたらいかがでしょうか。これも私の観念ですから強制はできません。しかし、この境地に近づけば近づくほど幸福感が増していくのは確かです。なぜなら、恐れ、不安、怒り、嫉妬などの感情が無くなっていくからです。そんなものは無いと気付くからです。
私達人間がこの世で生かされている目的は、自らの本質を思い出す為なのだと思います。それは、自分の本質は愛そのものだということです。その意識は”すべてを労り思いやり生かす”です。
地球という場所が、もし自分で思ったことが瞬時に具現化する世界だったら、自らの思いを修正することができません。だから、時間があるこの地球という世界に来て”反省する時間”を与えられ、様々なことを経験しながら、自らの思い(意識)を変えるチャンスを与えられているのだと思います。もしそうであるならば、この肉体を与えられている今生とは、とても貴重な機会だということです。自分の思い癖、悪習などを修正できる機会です。どう思ってどう行動するかは自由意思に任されています。たぶん、何をしても(思い、言葉、行為)、それらの結果はすべて貴重な学びの体験であり、ある意味”ただそうなだけ”なのかもしれません。要するに、それらの経験から何を学び成長するかが大切なのではないでしょうか。いずれにしても、そういうことならば時間というものがとても貴重に感じるのではないでしょうか。
自分が幸せになるのもならないのも、自らの蒔いた種が何であるかということの結果なのだと思います。他人に不快な思いをさせる種を蒔いたら、発芽した芽(自分も不快な思いをすること)を刈り取るのは自分だということです。全一体が分かれば、それがあたりまえと気付くと思います。この全一体の境地(分離意識が無い)に至るにはルーティンを手放すことが必要なときもあるのかもしれません。意識の置き場所を変えれば、それに伴ってルーティンも変わるのかもしれません。そういうものも含めて、この世には執着に値するものは無いということです。
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