一人一人の学び
私達人間は、日々の生活の中で、居る場所行く所で、一人一人その人しかできない独自の学びをしているのだと思います。
自分の目の前の事象は、今までの自分の思いから出た表現の結果が現れたものであり、それらが都合良く感じられるものであれ、都合悪く感じられるものであれ、それらにどの様に対処するかで次の現れが変わって来ます。つまり、今まで自らが蒔いた種を刈り取っているだけなのであり、自らの表現の結果現れた対処するべきことをやっているのだと思います。それだけでも大変なのに、日々の生活の中で目にすることに自分から出て行ってわざわざ関わったりして、自分で正しいと思っている観念や概念などを基にして、あっちこっちで誰彼にああしたほうがいい、こうしたほうがいいなどと、知ったかぶりをして余計なことをしない方がいいのではないかと思います。なぜなら、たくさんの関わりを持つとそれらに対処する時間が増えてしまい自らを修正する時間が少なくなってしまうからです。私達に与えられた時間は一日二十四時間です。誰もが同じです。そのとても貴重な時間をどの様に使うかということがとても大切なのではないでしょうか。それは、自分が今生この世に来た理由をどの様に思っているかで決まると思います。
例えば、美味しいものを食べるためと思っている人は世界中の美味しいものを追求する為に時間を使うでしょうし、お金儲けと思っている人はそうするでしょうし、権力を掌握すると思っている人はそうするでしょう。しかし、それらを手にしたところで永遠のものではありません。それらをする過程で多くの人を傷つけるかもしれません。また、一体自分は何をやっているのだろうかと感じたりして虚無感に襲われるかもしれません。では、そんな時どうしたら良いのでしょうか。
私は、私達人間の表現の源は自らの思いにあると考えています。なので、やりたい様にやればいいと思いますし、言われなくてもすでにそうしているでしょう。しかし、他人を傷つけてまでお金を儲けたり権力を握ろうとすれば、それなりの結果がいずれ自分に戻って来るのだと思います。嫌な思いをさせたらいずれ嫌な思いをし、傷つけたらいずれ傷つけられ、殺したら殺されるということになるのだと思います。いずれにせよ、それらのことを経験しながら、あらゆる場面での対処法を一人一人のペースで学んで行くのだと思います。亀さんは亀さんのペースでです。また、うさぎさんはうさぎさんのペースでです。焦ったりして誰かに似せることはありません。つまり、一人一人課題が違うしペースも違うということです。自分の思いを本当に変えるには真に納得して腑に落ちないとできないのではないでしょうか。誰かに強制されても自分の思いというのは真に変えられないと思います。だから、時に、自分が良かれと思ってすることが余計なことになるかもしれないのです。その人の学びの邪魔をすることになるかもしれないのです。もしそうならば、自らのカルマの上乗せになるかもしれません。それでは自分の為にも相手の為にも誰の為にもならないということになります。
さらに、ある能力を持ってして徒に病を癒したら、もしかしたらそれがその人にとって気づきを遅らせることになり、悩み、苦しみを増すことになるかもしれません。その場合も相手のみならず自分のカルマもたくさん背負うことになるかもしれません。
また、誰かを見ていて、「なぜ遅いの、なぜできないの」などと思い、イライラしたり怒ったりすれば、時には自分の心に汚れを増やすだけということにもなりかねません。
私達人間は一人一人責任を持って己を磨くことが大切なのです。何をさておいても、”真我覚醒”に努めなくてはならないのだと思います。一人一人が、本当の自分とは何なのか、つまり、自分は大元そのものであることを思い出し、そこに融合することが一番やるべきことなのだと思います。その為に時間というものが与えられているこの世に来ることを許されたのであり、自らの思いを修正する為の一定の決められた時間を与えられているのではないでしょうか。
私達人間は、それぞれがそれぞれの今の意識レベルで”思い”、”言葉”を発し”表現”しているということなのです。例えば5の意識では5の表現しかできないということなのです。(因みに、意識レベルとは高い低い、良い悪いを意味してません。その位置にあるという様なニュアンスです)その5のレベルを6、7、8、と変えるのは己自身にしかできません。他人に変えてもらうことはできないのです。だから、日々の生活の中で誰かに言われたことに対して、いちいちその言った人の波動に合わせて腹を立てたりしても自分の為にはならないのです。それらから何を学び気付くかが大切なことなのです。腹を立てて怒ったり、恨んだりして自分の心を汚す様なことに時間を割くなんて時間が勿体無いと思います。そんなことで時間を失うのなら、己磨きの時間を少しでも確保したほうがいいと思います。自分を磨くということは他を生かすことでもあるのです。今生の幻影にすぎない様々な結果に惑わされて貴重な時間を失うことはなんてもったいないことかと感じます。
因みに、私はこうしなくてはならないとかこれはしてはいけないとかを言っているのではありません。自由意志と選択の自由があります。しかし、もし一人一人が今までの様に、やりたい放題し続けたらどうなるのでしょうか。もしそうならば何も変わらず今のままです。相争い殺し合いが無くなりません。それが嫌なら一人一人自らの思いを変える努力をしなければならないのではないでしょうか。繰り返しますが、”他人を変えようとするのではなく、自らが自らの思いを修正する”ということです。どこどこの誰彼が、どうのこうのとか、良い悪いとか、わざわざ自分で出向いて行きワイワイ言いながら誰かを裁きまくることに時間を費やすのなら、静かに己の内側を見つめる時間に使う方が、あらゆるこの世の問題の解決に繋がる様に感じます。何度も言いますが、自らを反省し、修正するということが一番大事なことなのです。
そうする人が増えれば、次第に対立や争いが減り、”共存、共栄、共生”の世の中に繋がって行き、真に調和の取れた世界になると思います。私は、そうなって初めて、真の自由や真の喜び、幸せが実現するのだと思います。
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