一番

意識

一番
私は一番になりたいです。
自分の中で一番になる、という意味です。
自分の崇高なところを捉えて言葉を選ぶということです。
一人の人間には、考えの幅が一番上から下まで、かなり広いものがあると思います。
目の前のことに対して、無限にある選択肢、幅の中から、どの自分を選んで反応するか、これを、さてどれでいこうかな、とできたらかなり余裕ですね。
例えば、道で人とすれ違う時にぶつかってしまった場合、すみませんと謝るか、相手がながら携帯をしていたので、注意するか、思い切り怒鳴るか、殴るか(例えばです、あくまでも)、何も言わずさっさと立ち去るか、睨むか、対応の選択肢は実にたくさんあります。そして、どれを選んだかによって、次に起こる事が全く違ってきます。
いつも怒ってばかりいる人は、思考に癖が付いているので、また瞬間的に怒ってしまう可能性が高いかもしれません。そうすると余計なトラブルに発展する確率が高くなりますね。怒りの連鎖になっちゃいます。自分で招いてしまっているのです。思い癖を修正するのは、なかなか難しいものです。私自身、修正するのに時間がかかりました。
自分の一番(幅の一番上)に近いところを選択して生きていると、不思議と余計なトラブルが少なくなるような気がします。これは、たぶん、周りから受け取れる情報量が格段に増えること(落ち着いて見れますから)、そのために、同じ時間の中で出来ること、または、反応のスピードが上がるからだと感じます。私の思い込みかもしれませんが。
という事は、次に起こる事を自分である程度コントロールできる、または作り出すこともできるという事になるのかもしれません。
それならば、やっぱり楽で愉しい事を考えた方がいいじゃないですか。自由で平和なことを。私はそう考えています。
でも、基本的には、瞬間、瞬間の判断(魂の判断)は間違っていないので、要するに、今の自分に必要なことが起きていると認識した上で、淡々とそれをこなしていけばいいのだと思います。
いつになるかは人それぞれでしょうが、次はどの選択肢を選んでみようかな、という見方が自然に出てきたら、もう少し人生楽しく進められるのかもしれません。
やっぱり、これでいいのだ、それでいいのだ、あるがまま、なるがまま、で良さそうです。それこそが、その時の、自分の一番、なのでしょう。

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