不調和な想念

意識

不調和な想念
 私は、以前、いくつかのお話の中で、こんな引用をしました。
それは、「多くの会社を経営して、馬車馬のように働いている人であっても、心が不調和な想念で一杯なら、精神階層では世界中に、禍を撒き散らしており、それなら逆に何もしていないように見えても、毎日を笑顔で暮らしている人のほうが世界には遥に貢献している」(葦原瑞穂さんの黎明という本の一部)という言葉です。
 この世の中では、一般的に、経営者と呼ばれる人は尊敬されたり、目標にされたり、いろいろなところから頼りにされたりと、なかなか大変な日々を過ごしているかと思います。会社を経営して、雇用を創出し、たくさんの人の面倒を見ることができるのは、素晴らしい才能だと思います。この様な人は、勉強が出来て、お金もあり、社会的地位もあるという人が多いでしょう。
 私が認識している宇宙の仕組みとは、完全意識である大元が、”唯一有る”ということ、私達の本質は、大元の一滴(ひとしずく)(分け御魂)であり、それぞれが自由意思と個性を持ち、完全意識の忘れ具合がどれくらいかで異なる、各々のバイブレーションを持ち、それを変化させながら、完全意識を思い出すという、長い旅路に着いているというものです。それぞれが、地球の法則の元で、生活をし、ここならではの様々な経験をし、感情を味わうには、物質である体を借りて、それを使わなければできません。そして、お互いの、意思疎通には、基本的に言葉が必要です。そのために、誤解が生じることも多々あると思います。同じ言葉でも、解釈が違ったり、話し合いをしても、お互いが嘘をついているかもしれないし、真実を話しても信じてもらえないかもしれないし、お互いの意向がぶつかることもあると思います。特に商売などの場面では、なおさら神経を使うことが多いのではないでしょうか。
経営者、従業員など、それ以外のいろいろな立場というものは、それぞれが描いてきたブループリントに有る、計画の一つなのかもしれません。その立場だからこそできる経験があり、味わえる感情もあるでしょう。
私達は、バイブレーションが違った、自由意思を持った存在です。同じ様な事象を前にして、それに対する思い、どういう言葉を発するか、どう行動するかはそれぞれ違ったものになると思います。いわゆる十人十色です。また、お互い、自由意思の尊重ですから、どの様に感じ、思い、行動しても、それでいいと思います。
私は、”優しく、愛に溢れ、互いに思いやり、他人に強制することなく、自分の好きなことをきちんとできること”、が大切だと思ってますので、この考えに沿った、思い、言葉、行動を心がけています。心がけてもなかなかできませんが。
でも、これができたら、楽で愉しい世の中に向かう様な気がするので、そうしています。この”心がけ”というものは、例えば、”人より前に行く”、”人には絶対に負けない”、”何が何でも金持ちになる”、”権力を手中にする”、または、”他人をかしずかせて王の様な暮らしをする”、”よく分からないけど、従業員を食わせなくてはならないから、少しでも権力者側に立つ方が安全”、など様々なものがあると思います。
今例として上げたものを、いわゆる”不調和な想念”というのかなと思います。他と調和を図る要素が感じられないと思います。
この”心がけ”が調和的か不調和的かで、全体に与える影響や結果はだいぶ違ってきます。集合意識に大きく影響しますし、全部にも影響を与えます。その時は表面上何も無くて、分からないかもしれませんが、次第に、その心がけの帰着する結果に近づいて行きます。そして、何でこうなるのだとなります。それは、そういうバイブレーションでものを見たり、姿勢を取っているからそうなるのです。瞬間瞬間の選択肢は無限にあるので、何かに気づいて、選択肢を変えれば、抜け出せると思います。
不調和的なものだと、その時はうまく行った様に見えても、それは、争い、トラブルを招くものですから、やはりその様なタイムラインに乗って変化して行くのだと思います。そして、周りも巻き込んでしまいます。巻き込まれる人も自分で引き寄せてしまっているのかもしれません。同調するバイブレーションなのかもしれません。
また、何となく嫌だなと感じても、生活のためなどの理由で、そこに留まる事は、誰もがよくすることだと思います。しかし、その選択は、直感という魂からの直通電話を無視することになってしまい、何となく落ち着かない日々を、何かに気づくまで、もんもんと経験するという事なのだと思います。
そこでどうするかですが、調和的な要素を含む心がけを選択してみたらいいと思います。調和的というのは、争いを避けるものだからです。その方が、お互い楽だと思います。
要するに、経営者だろうが、大臣だろうが、会社員だろうが、立場は関係なく、不調和的選択をしている人は、同調する人達と、そのタイムラインで変化していき、調和的選択をした人は、同調する人達と、楽で愉しい結果へとのタイムラインで変化していくということなのだと思います。良い悪いではなくて、どの選択をしますか、という事です。自由意思の尊重と選択の自由ですから、やりたい様にやればいいと思います。
何もしてない様に見える人が、何だか心に満たされ感があり、それで、毎日、笑顔で楽しく暮らしている方が調和的なのかもしれません。全体にも貢献しているのだと思います。
私は、愛と調和を心がける選択をしてます。

コメント

  1. Marna Kemerly より:

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