人生
自分は、生まれてから今までどんな道を歩んできたのか、それを、たまにはじっくり振り返るのも、いいと思います。意外に他人の人生の方を気にしてることに気付いたりします。それは、どの様に生きたらいいのか、その理想を見つけようとしているのかもしれません。気に入ったものがあれば、それを真似してみたり、その人に成り切ってみたり、何かしらの参考になるからでしょう。
小さな頃は、想像の世界のアニメの主人公に憧れたり、中学生、高校生の頃は、好きな歌手や、俳優の様になりたいと思ったり、大学生の頃には、自分の進む道が、少しずつ見えてきて、その道の、世界の名だたる人々に憧れて、一時はそれに向かって突き進んだりする人もいるのではないでしょうか。そして、実際に仕事に就く段になって、初めて、現実と真剣に向き合うことになる人が多いのだと思います。その時にやりたい事と実際にできることは違うかもしれないということが見えてくるのだと思います。そして、諦めずやりたいことを選択する人と、とりあえず無難な仕事を選択する人とに分かれます。やりたいことを選択して、それをある程度やってみたら、自分にはやっぱり合わない、向いてなかった、上には上がいて叶わないなどと感じる人や、逆に、やっぱり自分にはこれが合っていると感じてやり続ける人がいます。どちらかというと途中でコース変更する人の方が多いのではないでしょうか。
その道を続けるのも、コース変更するのも、自分の選択ですから、良いも悪いもありません。誤解を受けるかもしれませんが、どの選択でも、すべてそれでいいのだと思います。大切なのは、その瞬間瞬間の心の状態だと思います。そして、それは、自分は、なぜそれをやるのかという動機がなんであるかが重要で、少し迷ったり、悩んだり、行き詰まったりしたら、あらためて自分の心の状態と動機の確認をしたらいいと思います。心が不調和な想念でいっぱいだったら本質と表面意識とのズレが大きくなり過ぎているかもしれません。そんな時は、自分の本当はこうしたいという心に素直になった方がいいと思います。
動機はいろいろあります。それは、気が付かないうちに変わっているかもしれません。初めは、好きだから、向いていると思うから、周りにもそう言われるから、お金を稼げるから、安定しているから、社会的地位が高いから、権力を持てるから、目立つから、人に使われたくないから、のんびりやりたいから、何をしていいか分からないから、ただなんとなく、など様々あると思います。そして、それぞれ、それで構わないのだと思います。そうやってああでもない、こうでもないと、しっくりこないまま、いろいろやっているうちに、何かに気付き、また次の課題に取り組みながら、そうやって歳をとって光へ戻るのかもしれません。一体、自分の一生とは何だったのか、と思う人は、意外に多いのかもしれません。もしかしたら、ほとんどの人が一度はそんなことを考えるのかもしれません。
自分の人生は、自分が主人公です。この視点から見ると、他の人は全員脇役です。生まれてから今までのことを振り返ると、よくここまで来たな、と感じることがあると思います。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、いじめたことやいじめられたこと、好きな人ができたこと、告白したりされたりしたこと、仕事での様々な出来事、そして今、と実にいろいろなことがあって、いろいろな感情を味わってきました。その一つ一つのことで、自分が主人公なのです。生まれてから今までのそのすべてが、一つの自分だけの物語であり、他にはない、唯一の物語です。そう考えると、たとえそれがどんなものであっても、大変貴重だと思いませんか。自分しか味わえないのですから。
今生を自分でブループリントとして概要を描いてきているのですね。自分で描いてきているから、変更もある程度なら可能なのかもしれません。いわゆる、やり方はということです。課題は変えられなくて、何かの気付きを得て、課題完了となれば、円滑状態に入るのだと思います。
私が感じているのは、今まで自分がやってきたこと、また、自分にあったことを振り返ると、その時は夢中で、よく分からないまま、ある意味、必死にそれらに向き合って生きてきた様な気がしています。そして、それらがあったからこそ、今こうしているんだなと感じます。すべてはうまくいっているのかもしれません。つまり、その瞬間瞬間の判断の積み重ねの結果が今である、ということです。あの時こうすれば良かったとか、あっちを選んでいたらどうなっただろうと思うことがありますが、もし他を選んだとしても、それでも”今”はあまり変わらないと感じるし、やっぱり”今ここ”に至っていると思います。何となく、そんなものだと感じます。そして、それでいいのだと思います。一生懸命やった、努力したというのがあればさらにいいかもしれません。私はそうやってきたと思うので、私の今が他人から見て、どう見えようと、これでいいのだ、と思えます。今までに、本当に一体どうなっちゃうんだろうと思った事が何度もありましたが、何とかなるし、気がついたらまた落ち着いたそれなりの暮らしが続いてるものです。
要するに目の前のことにしっかりと向き合って、丁寧に対処する他ないのだと思います。それでいいのです。そしてそれは自分だけしか経験出来ないことで、そこでの感情も自分しか味わえませんから、やはり、自分の人生は唯一無二の貴重なものなのです。今の自分の名前を使っての今生は、今回限りでもう二度とありません。だから、大変貴重で愛おしいものです。私は、精一杯今生を生き切りたいと最近益々思うようになりました。
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