人生は心の投影

意識

人生は心の投影
 今回のパンデミックに関して、最近話題になった言葉にamnestyというのがあります。これは、The Atlanticという雑誌に載った言葉です。その内容とは、
「パンデミック恩赦を宣言しましょう
COVIDについて暗中模索していた時にしたこと、言ったことをお互いに許す必要があります。」(2022年10月31日)というものです。
これに対して様々な反応がありました。その多くは、激怒にも似た否定的な反応であり、私もこの傲慢さに唖然としました。その反応として「no amnesty」という言葉がハッシュタグになり反発が広がってきているようです。
これは、コロナ騒動に関しての真相を当事者がうっかり認めている事とも取れる話です。これも今回のnarrativeの一つかもしれません。
では、今回のパンデミックをまとめてみると、「武漢から新型コロナが発生しました。それから、どこかの誰かの命令で、毎日毎日、洪水の様にMSMがコロナの恐怖を煽り、医師達がPCR検査を使って感染者を作り出し、その数を操作して、感染者拡大、減少の波を作り出しました。感染を抑える為と称して、政府、官僚達が都市部をロックダウン、マスクを強要して学校や各施設の閉鎖、社会活動の縮小などを行い経済を混乱させ、人々を政府に従わせる様にしました。また、WHOやCDC、厚労省などが、マスクが有効だと言ったり、ワクチンがコロナに有効であると囃し立て、また、MSMなどは、感染を抑え込むにはワクチンを打たなくてはいけないという雰囲気を作り出しました。海外ではワクチン接種を義務化したり、日本では努力義務などの言葉を使い積極推進した結果、たくさんの死者や副作用に苦しむ人達を出しました」ということだと思います。これが明らかになりつつあり、世界中で騒ぎが拡大し始めている様です。では、なぜこんなことをしたのかと言うと、支配権と利権とお金に目が眩んだのだと思います。
これらのことが、アメリカやカナダなどの多くの医師達、またEU議会の議員達の調査から、その内情が明らかになってきました。因みに、ファイザーの役員は、自社ワクチンがコロナの感染を抑制するかどうかの試験すらしてなかったことをEUの議会で認めています。つまり、ワクチンパスポートなどは無意味だったということになります。
この様に、今回のコロナ騒動とワクチン問題が次第に明らかになって来るにつれて、この一連の騒動に関係した人達が、ニュルンベルク裁判2.0で裁かれる可能性が高くなっている様です。これを恐れてなのか、EU議長のウルスラさんはニュルンベルク綱領を廃止しろと一年前から言っています。そして、今回、The Atlanticがこの様な声明を出しました。これは要するに、説明責任は無視して、恩赦を求める声明です。これは、実は上記のパンデミックのまとめが本当で、これに加担した人達の一部がまずいことになったと感じ始めて、手を打ったということでしょうか。なんだかもっともっと大騒ぎになる予感がします。
因みに、前回のニュルンベルク裁判では、多くの医師や看護婦など、他にも関係した人達の多くが死刑になったようです。これを恐れてMSMの一つであるThe Atlanticが不安のあまり、自らの本心を投影してしまったのかもしれません。
心の投影とは、例えば、私は彼らを騙す、という自分の思いが、彼らは私を騙すかもしれない、となったものです。その様な不調和な思いが、自分の心に不安や恐怖を生み出すのです。
つまり、今回のこのamnesty宣言も、不安が高じて自白してしまった様なものかもしれません。これからamnestyを声高に喧伝する人は、少し気をつけたほうが良さそうです。この様な唐突的な宣言は、ある種の世論誘導と疑われてしまう可能性があると思います。やはり、もう一度、私達もきちんと調べた方が良さそうです。また、MSM、WHO、CDC、厚労省、政治家、官僚、医師、製薬会社などの関係者は、しっかりとした説明責任を果たさなくてはならなくなるでしょう。それは絶対的義務だと思います。
 私達人間は、我欲にまみれて自分の都合のいいようにばかりしていると、不安や恐怖の連鎖で、いつまで経っても心の汚れを払拭することができません。思い、言葉、行為はいずれ自分に戻るというのが法則なのです。あたりまえです。私はあなた、あなたは私ですから。騙そうとしているのは自分なのです。だから、私達は復讐心で彼らに対応するのではなく、どうでもいいものに執着して変なことをしている兄弟姉妹達に、支配権、利権、お金などを得る為に血眼になることは、単なる影、幻を追っているのだということに早く気付いて欲しいという気持ちで対応したらいいと思います。そうは言うものの、もし上記のパンデミックのまとめが本当だったら、今回はやり過ぎたかもしれません。特にトップの人達の背負ってしまうカルマは、押し潰されてしまうほどのものになるのではないでしょうか。もし、今回うまく逃れたとしても、この世的に逃れただけで、それらのカルマの解消の為には、いつかどこかの生で、今回自分がやったことによる宿題を解決するという意味で同じ様なことを逆の立場で何度も何度も経験することになるのかもしれません。なんとかこの世の法から逃れられたとしても、やはり、その様に自分のことは自分で裁くことになるのだと思います。ということは、逆に、救い主も自分だということになるのではないでしょうか。要するに、人生をどうするかは、自分の思い次第なのだということです。つまり、人生は心の投影なのです。

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