焦点
私達は、日々起きている様々なことに対して、どの様な選択をするかを迫られた時に、中には、自分の物差しで、あれは間違っている、これも間違っている、だから、なんとかその意に沿わないものを無くしてしまおうと考える人もいるのではないでしょうか。私もそういう時がありました。そんな時は、いろいろな事に怒りっぽくなっていたなと感じます。
でも、よく考えたら、お互い自由意思の尊重と選択の自由が基本ならば、その考え方は根本的に間違えているのだと思います。まずは、互いに、そのような考え方もあるのだなと認めることが基本なのだろうと思います。相手も同じように、無くしてしまえと考えたら、最後は戦いになってしまいます。
では、どの様に考えたら良いのでしょうか。それは、まずはいろんな考え方を認めて、それから嫌だったら選択しなければいいだけのことです。相手の主張を尊重した上でということです。多くの人に選択されないものは、次第に無くなります。だから、自分の心に嘘をつかないで素直に意思表示していけば良いと思います。結果、その方が時間はかかるかもしれませんが、全体としてバランスがとれて上手くいくのです。
では、自分は何に焦点をあてていろいろ選択しているのでしょうか。
お金に焦点をあてる選択なのか、
自然環境に焦点をあてる選択なのか、
公平さに焦点をあてる選択なのか、
自分が本当に好きなことに焦点をあてる選択なのか、
流行に焦点をあてる選択なのか、
競争に焦点をあてる選択なのか、
何に焦点をあてて選択しているかは、非常に重要です。
今まではお金に焦点をあてて選択する世界でした。そのように選択せざるを得ない社会システムが作られていました。でも、これからは思い切り変わると思います。焦点をあてるものが何なのか、多くの人が何を選択するかで流れが決まります。非常に重要な転換点にいます。
今までの、まだ続いていますが、資本主義というのは、お金に焦点がいくコンセプトです。それがあたりまえと考えて、受け入れている人が多数を締めているうちは、まだ今のように、本来自分で使えるお金が、何だかよくわからないうちに掠め取られて、働けど働けど税金、その他にむしり取られて汲々とする日常が続いてしまいます。
なぜか?その様にシステムがなっているからです。要するに、資本力の大きなところが勝つシステムなのです。ここでは説明が要りますが、また次回以降にします。
このシステムでは、いくら個人で商店を営んで、地元ならではのものをつくろうとしても、大資本が、これは使えると思って目をつけられたら、資本力でイチコロです。M&Aで支配下に入ります。そのあとはminionです。だから、どこにいってもイオンみたいな変わり映えしない一律なつまらないSCがごろごろできて、地元の商店街が消えてしまうのです。これは、私の個人的見解です。私はその土地土地独自の文化が大好きなので、一律なSCがつまらないと感じます。本音は力で捩じ伏せるやり方に強烈に反発する性格なだけなのですけど。この性格は昔からです。
でも、システムというのは大事なのです。流れを作ります。一度出来上がるとなかなか変えるのが困難なものなのです。
なので、皆さん、嫌なものは嫌と明確に意思表示しましょう。周りから何を言われても。これからはそれが大事なことだと思います。
ここで、よく使われるセリフがあるのですが、一人では生きられないのですよ、という言葉があります。何かというとこの言葉を乱用して自分の希望を通そうとする人がいますけれど、その都度本当にそうなのか検証した方が良さそうです。その言葉を頻繁に使う人は、大抵じっくり考えていない人か、何か他に企みがある場合が多いです。要は、自分はどうしたいかです。本当に最近はこの言葉を使う人が多くて辟易しています。
いろいろ変なことを言いましたが、私は地元のおやっさん、あかあさん的店が好きなのです。何十年も地元密着でやってきた人達が好きなのです。個人の自由な選択に焦点をあてている人達が好きです。
皆さん、何に焦点をあてて選択をしますか。
自分の心の赴くままに焦点をあてましょう。素直に。でも、みんながそんなことしたら、世の中バラバラになっちゃうのではと思うかもしれませんが、大丈夫だと思います。ジグソーパズルのピースは一つ一つ違う形です。それで全体が成り立ってます。人の本質もそれぞれ個性が違います。でも現に宇宙は成り立っています。無理矢理同じにしようとすると隙間(歪み)ができて、成り立ちません。なので、それぞれが心の赴くままにやった方が絶妙なバランスが保たれた世の中になるということだと思います。時代が変わります。今までの焦点を本来の自分のものに少し変えてみませんか。
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