信仰

意識

信仰
 私達は、いろいろな不平不満を多々感じながら、日々の暮らしを営んでいるのではないでしょうか。あの人が嫌い、なんとなく合わない、思う様にならない、何もかもがうまくいかない、周りには嫌な人ばかりなど、この様な思いを感じたことは誰にでもあると思います。しかし、この様な思いに執着していると、言動や行動にもそれらの思いが表れてしまうかもしれません。では、その様に、不平不満を感じる様な状況になってしまう原因の多くは、一体何にあるのでしょうか。
 以前、「これくらい、少しくらい」で、江本勝さんの「水は答えを知っている」という動画をご紹介しました。それは、水にバッハの曲を聴かせると美しい分子構造になり、ヘビメタを聴かせると乱れた分子構造になるという内容でした。波調によって分子構造が影響を受けることを証明する動画です。
私達人間の思いも波動です。様々な波調があります。自分が発する波調に同調するものが周りに近寄ってくるのだと思います。もちろん、全てではないかもしれません。しかし、自分の思いに同調するということも否定できないことだと思います。もしそうならば、うまくいかない事が多いとか、周りに嫌だと感じる人が多いなどということは、もしかして自分の思いが引き寄せている可能性も考えられるのではないでしょうか。もし、あまりにもその状況が苦しいと感じるのであれば、一度、一人の時に、静かな場所で、自分を見つめてみたらいいと思います。そうしたら、何かにハッと気付けるかもしれません。今までの自分の思いがどうだったのか、仕事をしている動機は何だったのか、勉強をしている動機は何だったのか、この人と付き合っている動機は何だったのか、なぜそれを欲しがっているのか、その様なことに対する自分の本当の思いを確認できるかもしれません。その結果、そのままで構わないと判断したらそのまま進めばいいし、今までの思いや動機が不適切と判断したら、そこでやめるか軌道修正すればいいと思います。いずれにしても、不調和なものであれば、またどこかで苦しくなります。調和的なものであれば、自分の気持ちも、周りの雰囲気も軽い感じになります。そういうことに気付くタイミングは、人それぞれですから、基本的には自分が思う様にやればいいと思います。なぜなら、人は自分を変えることはできますが、他人を変えることはできないからです。だから、自分の思いを変えて、言葉を変えて、行為を変えれば、次第に周りも変わります。私は何度も体験しました。ああ、自分が変わるとこんなにも周りが変わるのだなと思いました。
しかし、自分で優しい波調や、思いやりの波調、いわゆる愛の波調を出していても、困難に陥ることはあります。その様なときに、周りに振り回されて、自暴自棄になり、思いを波動の荒いものにしてしまうのか、それとも本質を信じて、いろいろ思考錯誤しながら、その困難を乗り越えるか、そこは非常に大事なことだと思います。なぜこんなに真面目にやっているのに私ばかり、、と考えないで、自分に必要なことが起きている、と考えた方が、外側に振り回されることも少なく、自分の静心状態を保てると思います。だから、自分をよく知るということが大切なのです。自分のことが分かっていたら、ブレないのではないでしょうか。自分が、命そのものであり、本質が永久不滅で神性意識だと完全に分かったら、怖いという感情は無くなるのだと思います。これが信仰なのだと思います。それは、どんなときでも、大元に視点を置き続けて生きることです。最終到達点とは、大元との一体感を得て、その波動で生きることなのだと思います。そう理解できたなら、肉体は破壊されても、私達の本質は、永久不滅な訳ですから、恐怖感は無くなり、至福の世界に浸る事ができるのではないでしょうか。
私達は、自分の思いを変えるだけで、大元の方へと視点を向けることができるのです。わざわざ遠くへ行ったり、苦行をしたり、何か特別な環境を求める必要は無いのです。やがて、大元との一体感を得たら、私達は自由自在になれるのかもしれません。なぜならそれは、無限意識だからです。簡単なことの様に言ってますが、実際気付けば簡単なのでしょう。でも、このことに気付いて、本当に大元に視点を向けて、そのものを生きている人は何人いるのでしょうか。それは分かりませんが、私もその一人に入れる様に意識を向け続けて行こうと思います。

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