優越感と劣等感

意識

優越感と劣等感
 私達人間は、ほぼすべての人がこの感情を抱いたことがあると思います。ほぼと言ったのは、「抱いたことが今生ありません」と断言している人がいるからです。それはどの様な人かというと、私達の本質である完全意識に到達した人です。私達人間の意識がそこに戻ると、その様な感情を抱くことは無い様です。私は、それが偉いと言っているのではありません。そこに戻ると、むしろ、兄弟姉妹の為に、働きたくて仕方がない気持ちになる様です。自分が命そのものであると完全に意識しているからです。なぜならば、命は一瞬も休むことがなく働き続けています。一瞬でも休んだらすべては崩壊してしまいます。だからそれは、無限に他を生かし続ける愛ということです。それは、何かを強制したり否定したりすることはありません。その人の意思通りに瞬時に働きます。世間一般的に良いことにも悪いことにも思った瞬間に加減なく働き始めます。つまり、自分が思った通りに働くということです。だから、いかなる結果も自己責任ということになるのです。
今、目の前にある事象は、今まで転生してきた際に自分が思ったり、言葉にしたり、成したことが原因で表れていることです。長い転生で自ら作った思い癖や悪習慣を修正するのに必要なことが起きている訳です。だから、その目の前の事象から逃げずに乗り越え続けていくことが、課題解消になるということなのです。私は、それをきちんとできる人が、本当に勇気がある人だと思います。
しかし、今生生まれてきて、自分の肉体を真の自分と思っている人は、自分の都合の良し悪しで事を判断してしまう傾向があると思います。それをすると、自己改善どころではなくなると思います。例えば、誰よりも金持ちになり、権力を持ち、他を支配し、優雅に暮らすことが最高だと思ってしまうかもしれません。そして、自分の本質に気付かないで今生を終えたら、一番大切な目的を果たさないで終えることになると思います。その様な人生にあるのは他との比較感です。人はこうなると、優越感や劣等感が前面に出てきます。誰より金持ち、誰より権力があるなどと思ったら優越感、逆ならば、劣等感を抱くことになるのだと思います。果たして、私達人間とは、そんな”他を蹴落としてでも勝つ”という様な勝負をする為に生まれて来たのでしょうか。本気でそう考えている人は、そうすればいいでしょう。しかし、そんな生き方は疲れるだろうし、時間が勿体ないと感じます。何よりも、不調和な想念を撒き散らす事になります。すべてに迷惑をかけてしまいます。せっかく今生で本来の自分に戻り至福の世界に到達しようとの意志を持って生まれて来たのに、またそれをすっかり忘れてしまい、またまたこの世の影、幻に錯覚して、自己改造どころか、他を傷つける様なことをして、さらにカルマを上乗せして戻るなんて、非常に勿体ないと思います。例えると、楽しむために自分で作ったものに惑わされて、逆に苦しむことになってしまう様なものです。その様に生きた人は、肉体を脱いだ時に、”またやってしまった”という感じになるのかもしれません。
優越感と劣等感とは、自分の中で特別を置いているから抱く感情です。本当は特別な人などいません。演技をする上で役割の違いがあるだけです。すべては、同じ命に生かされているのです。すべてとは、人間だけではなくて、その他すべてということです。つまり、共存、共栄、共生という調和的生き方が大切なのです。
私達人間一人一人の違いは、それぞれの意識の置き場所の違いにあります。それぞれの自由意志で今のところに置いています。それは誰かに言われたからそこに置いているのではなく、完全に自由意志で置いています。つまり、誰のせいでもないということです。
自分の意識を変えるには、様々な経験をして様々なことに気付かないとできません。しっかりと気付かないと、自分の意識を置く場所を変えることができません。たとえば、自分で変えなければと思っていても、それができずに何度も繰り返してしまうのは、その対象となるものに対して執着という気持ちを持っていることを、完全には理解していないからです。本当に理解したら、自ら、意識の置き場所を変えられます。私は、今生において、何度かそれを経験しています。たくさんのお金、他への迷惑をさんざんかけた末に、ふとしたことで、この世には執着に値するものは一物もないということが分かりました。だからといって、何も持たないということではありません。必要なものは持ちますが、何かに過度にこだわったりして、執着することがなくなったということです。今あるものは、それなりに大切にしています。しかし、もう無くてもいいとなったらすぐに手放せるということです。
誰でも、基本的にやりたいことはやればいいと思います。しかし、なんとなく執着を感じたら、一旦それをやめて、いろいろ考えてみた方がいいと思います。自分がそれを何度もする本当の動機は何であるのかを徹底して追求するのもいいかもしれません。でも、”この世には執着に値するものは一物も無い”ということなのです。私はそう思っています。
もし、そう思えたら、優越感や劣等感など薄れて消えてしまうと思います。そうなってみると、意外に身軽で気持ちのいいものです。

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