在り方

社会

在り方
今の自分の在り方はどうでしょうか?
満足いくものか、不満なのか、満足なところと不満なところ両方ある、そんなことなんて考えたこともない、などいろいろでしょう。
この中で選ぶのならば、たぶん、両方あるという人が多いのではないでしょうか。
人に評価されたところ、自分で得意と感じているところなど、人と比較して優位に立つものに対して満足感を持つ人が多いのではないでしょうか。そして比較して劣後しているところを不満と感じる人が多いのではないでしょうか。これは、競争、人より何か先んじるものを持たないと人生を満足できる状態で生きていくことができない、という教育、刷り込み、そしてそれが、あたりまえ、と集団で共有し続けて来た結果だと思います。
もちろんどの様に考えても、選択しても自由です。自由意志の尊重です。ですから、競争したい人はしたらいいし、のんびりマイペースでしたい人はそうすればいいと思います。ただ、何を選ぶ人が多いかで社会の雰囲気ができていると感じますので、何を選ぶ人が多いのかは大切なポイントですね。だから、力を持っている人達は自分の思いを巧みに強制するのです。その最大の道具がMSMです。くれぐれも自分のやりたい様にやりましょう。
私が感じているのは、競争が行き過ぎて、かなり一方向に偏りすぎているかなということです。軽い比較、競争、熾烈な争い、生存競争と変化し、ついにここまで来ましたか、という感じです。在り方の選択肢がもっといろいろあるのに狭くし過ぎ、もっと自由にやりましょうよ、と感じます。
人間関係、働き方、自然の在り方、生態系など、お互い生かしあってない、窮屈に過ぎやしませんかと感じます。


人間関係について、親子、兄弟姉妹、親戚、友人、上司部下、夫婦いろいろありますが、こうあるべきという見方で見過ぎていませんか、と思います。しかし、このべき論を外して見れば、変化している、となりますね。何でも絶えず変化してます。私は、べき論という見方が、窮屈に感じるので、その見方はしない様にしています。人それぞれでいいんじゃないの、と常々思ってます。合意があって、人に迷惑をかけないのであればそれぞれやりたい様にやったらいいでしょ、という考えです。

働き方ですがこれも、もっともっと自由にやればいいと思います。でも組織の中で、自由にやり過ぎると、はじかれます。なので、私は組織にいる間、結構きつかったです。まだこの仕事をしたい、まだ離れるタイミングじゃないと思っている間は、なんとかいろいろ工夫して、バランスをとってましたけど。そして今年の六月に、もうダメ、となりました。組織を離れました。たくさんの学びを頂いて感謝してると同時に楽しかったなぁと感じています。今思えばですけど。要するに、自分に嘘をついていると、辛いし、複数の他人の軸で生きる羽目になります。だから、世に言う、嘘をついちゃダメ、というのは、基本的には、自分についちゃダメということです。もちろん他人にもつかない方がいいですけど。


そして自然破壊についてです。
長い間私達は地球を虐め過ぎました。地球の意思を無視し過ぎました。合意してない事を勝手にやり続けました。それじゃ地球も、自分のありたい様に在り方を修正しますよね。だから、最近の自然災害、地震、洪水(今年は全世界的に凄まじいものでした)、火山の噴火、今までのパターンではない様な気がします。地球も自分でなんとかバランスをとっています。でも、もうダメ、となったら人間にとっては恐ろしい事態になるかもしれません。経済の為に、お金の為に、生活の為に、勝手に山を削り、平地にしたり、勝手に海を埋め立てて平地を作ったり、動物の住処、食べ物、珊瑚を埋めたりしたら、魚の住処が無くなり、食べ物がなくなるのは当然でしょう。生態系の破壊です。だから、熊、猪、猿、鹿などたくさんの動物たちが人里に下りてくるのですね。全て人災だと思います。最近は太陽光発電のパネル設置という理由で山を削りまくってます。そしてこの前の熱海の土砂崩れです。人災です。かなり前から警鐘を鳴らされてました。
つまり、その人、もの,自然の、在り方、意思を確認しないで、勝手にやると、その対象は、もうダメとなり、大きな修正をしてくるということなのですね。今まで散々勝手をしてきましたから、もうそろそろ、やさしさと思いやりを在り方に入れないとまずいのかもしれません。
選択肢はたくさんあります。やさしく、愛に溢れ、互いに思いやり、他人に強制することなく、自分でやりたいことをきちんとやりましょう。

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