好きなものに注意を払う

意識

好きなものに注意を払う
 漫画家の赤塚不二夫が注意を払っていたこと。それは、面白いこと、楽しいことを探し求めることだったそうです。
 私は、四十歳くらいまで、赤塚不二夫の凄さに気が付きませんでした。小さな頃から彼の漫画を読んだり、テレビで天才バカボンなどを見てはいましたが、ただのドタバタギャグだけの漫画と、子供心に思っていました。天才バカボンのバカボンパパは、終わりに「これでいいのだ」とサラッと言います。私はこれを聞いて、「いいわけないでしょ」とか「なんだかなぁ」と感じてました。何か釈然としないという感じでしょうか。そして、バカボンパパの様な大人にはなるまいとすら思っていました。
赤塚不二夫はどういう人だったのでしょう。彼は、満州で生まれ、戦争中様々な体験を経て、戦後日本に引き上げて来ました。その時には兄弟の半分が亡くなり三人になってしまったとのことです。その事を「胸をえぐられるよう」と彼は言っています。それからしばらくして漫画家として有名になり、二十七歳のときに結婚して、後に女の子を授かりました。仕事をしながら、毎日面白いことを求めていた様です。毎晩飲み歩いては、大騒ぎしていたそうです。次第に朝から飲む様になって、その結果、体調を崩したり、また良くなったら前と変わらない生活を送る、の繰り返しだったそうです。やがて、最初の奥様とは別れて、二番目の奥様を貰いました。最初の奥様と二番目の奥様は仲が良かった様です。二人で彼の面倒を見ることもあったようです。赤塚不二夫は家で奥様からお酒を一杯だけ貰うために、いろいろなことをして笑わせなければならなかった時があったようで、その時の映像をテレビで見たことがあります。私もつられて笑ってしまいました。冷静に考えてみると、赤塚不二夫の生活パターンは、世間一般的に言うと、生活リズムはめちゃくちゃ、お金の管理は?、という感じで、奥様は大変だったと思います。しかし、二人の奥様は、彼をやさしく見守っていた様に感じます。また、彼も、誰に聞いても、穏やかな人と答えが返ってくる様な人で、差別を嫌い、誰にでも平等に接する人だった様です。そして、漫画を描くという仕事に対しては真剣そのもので、彼は、それを通して何か大切なことを伝えようとしていたのだと思います。また、使命感の様なものも感じていたのかもしれません。
こんな事もありました。それは、彼が漫画家になって何十年か経ったある時、彼のマネージャーが五千万円もの大金を使い込みしていたことが発覚しました。その時の彼の言葉は「馬鹿だなぁ、困ってたなら、言えばいいのに」それだけだったそうです。
 私は、赤塚不二夫の漫画やテレビを、次第に見なくなりました。しかし、なぜか分からないのですが、ずっと気になる存在でした。憧れや尊敬の念があるわけでもなかったのですが、なぜか惹きつけられるものがあり、テレビで特集があると、自然に見たりしてました。だいぶ前の事ですが、笑っていいともに出た時もなんとなく見てました。そのとき彼は、”カクカク歩き”というギャグをして、タモリを困らせていたのですが、私は、その姿を見て”何やってんだか”などと思いながら大笑いしたのを覚えています。そして、私が四十歳を過ぎたときに、ふと、「これでいいのだ」という言葉が、何か特別な意味を含んでいるような気がしたのです。それから、彼に対する見方が変わった様な気がします。
どう変わったのかというと、今まで私が得た彼に対する限られた情報からの、勝手な推測になりますから、単なる私の思い込みになります。それは、奥様の彼に対する話や、彼のマネージャーの不祥事に対する彼の反応の仕方から見ても、やさしい人で愛情深く、思いやりがあり、他人に強制もせず、自分の好きなことをした人だったのではないかと思う様になったのです。
このことに気付いた時、バカボンパパの「これでいいのだ」の言葉がとても素晴らしいもので、実は、とても深い意味があるのではないかと感じました。つまり、自分に対しては「これでいいのだ」と認め、他人に対しては「それでいいのだ」と受け入れることから始まり、そして、それは凄くやさしいことであり、またそれが基本であり、そうしないと始まりません。つまり、そうじゃないと、否定から入ることになり、自分や他人の”今”を否定することになってしまいます。
私達の人生には、正直、辛く悲しいと感じることがたくさんあります。しかし、そこへ、必要以上に、視点を向け続けていたら、限られた人生の時間の多くをそちらへ向けてしまってたらどうでしょうか。たぶん、それは、余計につまらなくなるし、もっと辛くなるのでないでしょうか。
 私は、彼がその様なことを考えていたかどうかは分かりませんが、赤塚不二夫という人は、自分の作品や、自身の日々の言動・行動を通して、そんなことを伝えたかったのかもしれないと感じました。つまり、彼は、「もっと好きなことに注意を払ったほうがいいよ」と、ずっと言ってたのだと思います。
私にとって、「これでいいのだ」という言葉は、本当に大切なものを教えてくれたと思います。もしかしたら、彼がその言葉を使うときには、もう、悲しみや苦しみは充分だとの気持ちが入っているのかもしれません。

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