嫉妬は国を滅ぼす
この言葉は、昔からいろいろな国で格言の様に言われているそうです。最近、改めてこの言葉を聞いて、あるテレビドラマを思い出しました。それは、トルコで放映されたドラマで、オスマン帝国を描いたものです。全世界で何億人の人が見たドラマとのことです。私も妻の影響で見たのですが、それこそ権力への執着と嫉妬渦巻く世界を描いているものでした。その当時ほどではないのかもしれませんが、今も似た様な事が世界のあちらこちらで繰り広げられているのかもしれません。
人間にとって権力、またはお金、異性に対する欲というものを超越するのは、並大抵なことではないのかもしれないと考えさせられるドラマでした。そのドラマの中では、次の皇帝の座を巡り、兄弟同士で騙し合い殺し合いのドラマが次から次へと展開します。そしてそれらありとあらゆる駆け引きの結果皇帝についたものが、今度はそれ以外の兄弟と子供を殺します。自分の地位を盤石にするためです。私はその展開を見ていてため息しきりでした。この世に生かされている目的を見失うと、人はこんなにも何をしでかすかわからないものなのかと改めて考えさせられました。また、こんなことをどれだけの長い時間繰り返してきたのかと思いました。お互いにこんなことばかりしているからお互いに隙を突かれて気が休まる暇がなくなるのでしょう。そんなことも分からなくなるほど権力の味を知るとやめられないのでしょうか。神の名の元に殺し合うなんて、一体どういうことなのでしょう。当事者達は、いろいろ策を凝らし懸命に生きていると思っているのでしょうが、私は無駄な努力をしているのではと感じてしまいます。でも当事者は、この経験から何かを学ぶ為に本人に必要なことをしているのだと思います。権力、財力、地位、名誉などというものは、この世の道具に過ぎず、影、幻の様なもので、死んだらあの世に持って行けるものは何一つないのにと思うのですが。
いずれにしても、一人一人が生かされている目的に気付き、自ら意識を変えない限り平和にはならないのかもしれません。でも、私もどこかの生で、この皇帝の座を争う様な環境にいたかもしれず、ドラマの中で繰り広げられていた様な恐ろしい行為をしていたのかもしれません。それだけ環境(特に組織)というのは人を縛り付ける力を持つのかもしれません。もしかしたら、自ら縛り付けているのかもしれません。
私がいつも思っている、”どんな時でも私(愛)でありなさい、私を生きなさい”ということが、いかに大切なことであるかと同時に、その様に生きるのがいかに難しいことなのかを改めて思い知らされた気がします。本当にこれができる様になるには、人間が”久遠常在、不滅の実在である”という”本質”そのものを実感しなければ難しいのではないかと思います。そうでなければ、あらゆる恐怖にかられて想像を絶することを人はしてしまうと思います。
この世には恐怖を抱かせるものがたくさんありますが、本当は、自らの心に恨み、怒り、嫉妬などを持ち続けることが一番恐ろしいことなのかもしれません。だから、その様に思う流れを自ら断ち切らなければならないのだと思います。自分の思いを変えるのは、誰かがお膳立てしてくれてできることではないのです。つまり他人を変えることもできないということです。一人一人が自らの意思でその境地まで意識を持っていかなければならないのです。そして、その境地に到達して完璧に実感したものは、まだその境地に至っていない兄弟姉妹がそこに至るためのお手伝いをする義務があるのだと思います。そして、それは金儲けの手段ではないということです。
もしも今、いろいろなことに不満があると感じているのなら、その原因を追求し、その上で己を正す努力をしなければなりません。誰彼を責めるのではなく、徹底して己を正す努力をし続けるしかありません。ある事で悔しいと感じたら、相手を引き摺り下ろそうと考えるのではなく、自分のいたらなさを反省し努力する方に意識を向けることが大切です。そうすれば、余計な嫉妬に駆られないで済みます。つまり、自らの意識をどこに置くかです。嫉妬に駆られ、恨みや怒りにまで及ぶ様なことになったり、感情の赴くままにするなど、意識の置き場所次第では、本当に国を滅ぼしかねないことになるかもしれません。
私は、一人一人が執着するものを減らしていけば、平和で調和のとれた世の中に向かう様な気がします。そうなれば、共存、共栄、共生の世の中にするのは意外に簡単なのかもしれません。そうなれば、国という枠組みもいらないのだと思います。
無限意識には、本来”絶対平和、絶対調和”しかないのかもしれません。だから、私達人間は、そこに意識を置こうと努力し続けているのかもしれません。
私達人間は、”自分が本質(命)”という存在そのものであることに気付かず、何であるか迷い続けているが故に、自らの意識の置き場所が分からなくなっているのです。その様な迷いの思いの結果がずっと続いて来て、今に至っているということだと思います。地球に居たいのなら、自らの意識を変えなければならないのだと思います。
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