対話の際に思う事
今日は何の学びがあったのだろうか。
最近は、会った人との対話やその他のやり取りなどのいろいろな出来事から、そう思うようになりました。特に、感情的になったことがらについてそう考える様にしています。それでも、あまりにも感情的になり過ぎて、振り返ることすら忘れてしまう事もたまにあります。なかなかマインドマスタリーにはなれないものです。
本質的には、私もあなたも神、分け御魂です。その本質とはどの様なものか、それに対する思い出し具合は人によって様々でしょうが、本質は同じ神です。そのことを意識した上で人との対話等に臨もうと考える様にしています。良いも悪いも私もこの人と同じ様なところがあるのだなとか、今生ではこんな役割を演じているのだなとか思うと、あまり腹も立たなくなって来ます。目の前の人は自分の写し鏡なのです。私は目の前の人の写し鏡なのです。そして、なぜあの時にあの様な感情を抱いたのか、なぜあの様な行為にあの様な反応をしたのだろうか、などと自分をなぜ、なぜ、なぜと見つめていくと本当の自分が見えてくる気がします。
要は、他人をどうこうしようとすることに意識を向けるのではなく、一緒にいるこの時間を楽しむことに意識を向けるのが大切な様な気がします。まずは、自分が幸せになることです。誰かを幸せにしたいなら、まずは自分が幸せになるのが早道なのだと思います。自分の救い主は自分なのですね。誰もがそうなのだと思います。そして、幸せなエネルギーを自ら出すことが周りに良い影響を及ぼすことになります。少し気に入らないからといって、何かに反対すると対立エネルギーを生み出します。これは良い影響を及ぼしません。高じると争いになります。プロテクトは大事ですが、極端な全否定や反対運動などは、やはり対立エネルギーを出してしまいます。だから、一人一人が、自分が幸せになることに取り組めば、全体としてのエネルギーが良くなると思います。取り組む際に、お互いの、自由意思を尊重し、選択の自由を認める事が非常に大切になります。今からすぐにでも取り組みたいものですね。そうすれば、今の地球の様々な問題が徐々に解決すると思います。
やはり、身、口、意を正すことが本当に大切なのだと思います。優しい思い、綺麗な言葉、それに伴う行動のことです。思いが最初で、その思いが言葉を選び、行動へと繋がります。なるべく、心地良いエネルギーを生み出したいですね。私達にはそんな凄いことが誰でもできるのです。それを思い出しましょう。
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