平和になるためには

世界

平和になるためには 
 私達人間は、今まで何度も何度も戦いや争いという対立を繰り返してきました。なぜなのでしょうか。平和になるためには、一体どうすればいいのでしょうか。大昔から、国、人種、組織、グループ、個人などの間に、しばしば激しい対立がありました。その対立する構図を、意図的に作り出す人達がいたのも事実です。そして、それは残念ながら、今も続いています。私は、やはり、この対立を企画する人がいて、それに意識的に、または無意識的に乗る人がいるという構図がある限りなかなか平和な世界にはならない様な気がするのです。また、誰が悪い、あれが原因だからやっつけようとか、加害者と被害者の構図で解決しようとしても、うまくいかないと思うのです。
では、どうすればいいのでしょうか。結論から言うと、まずは、一人一人が自分をよく知ること、つまり、自分の言動・行動を意識すること、その言動・行動が、全体にどの様な影響を与えているのかを、しっかりと認識することだと思います。これは理想論ではありません。
今の世界は、この様な自分の言動・行動を認識をすることによって、多くの大切なことに気が付ける絶好の機会だと思います。なぜなら、大統領選挙の大規模不正行為、コロナ騒動・ワクチン対応、ウクライナの件などの大きな事象が複数あって、それらには繋がりがあるからです。そして、自分は、これらの事象に、どの様に反応して、どの様な言動・行動をしたのか、そして、なぜその様な言動・行動をしたのかを、よく事象について調べた上で、それらをきちんと認識するようにします。そうすると、様々なことに気が付くと思います。誰が何の目的で、どの様な手法を使い、何年位かけてその様な企画を進めていたのかなど、また、どんなグループがあって、それらの賛同者や動機など、いろいろ分かると思います。同時に、まさかこの人がこんな人だったなんて、という驚きの発見もあって、目から鱗状態になると思います。もちろん、それらの様々な考え方、視点、言動・行動に対して、良い悪いと言っているのではありません。その良い悪いという視点ではなくて、自分がしている言動・行動が、どんな影響を全体に及ぼしているのかを知ることが、特に今の時点では大切だと思うのです。自分の言動・行動がどこに向かう勢力に与する事になっているのか、またそれが行き着く先はどうなるのか、今から一人一人がここの確認ができないと、なかなか平和にはならない様な気がするのです。またこれからも今までの繰り返しになる様な気がします。良かれと思ってやった支援がさらなる戦闘のための軍資金になっていたり、マネーロンダリングになっていることがウクライナでは現実にあるのです。
また、誰かがなんとかしてくれることはあまり期待できません。これに期待してると、巧妙な策略に知らず知らずのうちに乗ってしまうことが今までも何度もありました。そうならない為には、しっかり自分で調べて、自分は本当はどうしたいのかを意識することが大切です。そして、その意向に従い行動することが、自分に嘘をつかずに貫けるかどうかです。
人間は自由意思の尊重と選択の自由があります。これはお互い尊重しなくてはならないことだと思います。そうすると、必然的に様々なやり方で自分の意向を具現化しようとする人が出てきますが、それらは基本的に自由です。だからこそ、自分の本当の意向を自覚していないと大変なことになるかもしれないのです。それらの中から、どれに賛同して乗るか、それがどれくらいの人数になるかで、社会的流れが決まります。だから、安易に流れに乗るのは自分にとっても、全体にとっても危険な事なのです。狡猾な人達は、人間の性質を熟知している人達も多く、その仲間たちでグループを作り、自分達の意向をあの手この手を使い賛同者を実際の数字より多く見せて、これがみんなの流れだという様に誘導してきます。一種の詐欺とも言えます。
例えば、ブログやYouTubeのフォロワー数が凄いと言われる人のものを、一度は見に行って見ようと思う人は結構いるのではないでしょうか。なんとなく気になるから、または流行だから乗ってみるか、などの人間の心理をうまく利用したやり方です。また、人道的とか、環境保護とか、難民支援とか、食糧支援とかの言葉を使うと、可哀想、なんとかしてあげたいと思う人が圧倒的に多いと思います。これらを大組織化して行っている場合には、真実はほとんど巧みに隠されていたり、資金の流れが不透明なことがたくさんある場合もたくさんあるのです。いかに策を巡らせて、いかに多くの人を乗せるか、または関与させるかということが、自分達の意向を具現化させる為には、必須の条件になります。だからいつも言っている様に、安易に乗らないこと、嫌だったら、その意思を明確に表明して、場合によっては、自分がいる組織から抜けるくらいの強さが無いとタイムラインは変わらないのかもしれません。
つまり、これからの時代は、自分の心の声に素直になれるか、なれないかで行く先が変わるのかもしれません。これは、今までもそうだったのかもしれません。私達は、”どこかの誰かの制限”を掛けられた狭いところでバタバタしているだけなのかもしれません。それを”被害者”として受け止めるのではなくて、実は自らその状況を受け入れて、認めてしまっていることだと認識することです。その事実を自覚したら、少しだけ勇気を出して、”自分の意に沿わないここ”から脱することができます。そうすれば、自由な世界に誰もが行けるのかもしれません。自分の心に素直になること、そのために、少しだけ勇気を出せるかどうか、ここに平和になるための鍵があるのだと思います。

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