幸福感

社会

幸福感
 男女平等という言葉があります。この言葉の意味するところは、人によって様々あると思います。私は、どの様な概念であっても、それらを、これが良い、あれは悪いとするつもりはありません。
 この何十年の間、世界中の国々では、ウーマンリブや男女共同参画など、いろいろな施策が突如としてマスコミなどから提示され、それに基づいて、多くの議論がなされてきました。それらは、対立や分断へとつながる様な、かなり誘導的なものが多いと感じました。中には、あらゆる仕事に対して、男性も女性も全く同じ様に従事できるようにしようとする考え、男性がしてきた仕事に一定の割合で女性が就くようにしたり、その逆もありとするもの、女性も全員が社会進出しなければならないとする考え、一方で、主婦は収益を生み出さないからという理由で否定しようとする考えも現れたり、実に様々な議論がなされてきました。
その結果はどうでしょう。以前より幸せになったと感じる人は増えたのでしょうか。
私は、言葉が、一部の人達に都合のいい様に使われてしまったところもあるのではないかと感じます。いつも言ってることですが、私達はこの地球の法則を選んで学びに来ています。男と女の性別を選んで来ています。それぞれに特徴があり、それは良い悪いではありません。まずは、それぞれの特徴を認める事から始めたら、少し冷静になれるのではないでしょうか。それぞれの性的特徴や、体格、体力、言葉遣い、仕草など、その性だからこそ表すことのできる美しさ、逞しさ、色気などというものは厳然としてあるのではないでしょうか。またそれらを否定して、無いものとすることは出来ないし、地球の法則や自然の摂理からしても許されない様な気がします。
 私は、高校は男子校でした。同じクラスに自分は女性だと思っている人がいました。体は男性ですが、仕草や言葉遣いなどは女性でした。それでも堂々としていて、みんなと仲良くして、イジメもありませんでした。その人は、二十代の時に、海外で性転換手術を受けました。そして今は銀座でお店をやっていて、幸せそうにしています。また、学生時代のバイト先でのことですが、その逆で、体は女性ですが、身なりや言葉遣い、仕草は男性で大型トラックの運転手をしている人もいました。その人は女性のパートナーがいて、やはり、幸せな様子でした。
要するに、男女平等という言葉を強調して、こうあるべきという概念を生み出して、一般化しようとすると、いらぬトラブルを招いてしまい、差別や分断の元になる様な気がするのです。基本的には、その人がやりたい様にやって、それで幸福感を味わえるなら、それでいいのではないでしょうか。それが、自由意思の尊重と選択の自由ということです。合意があって、強制などが無くて、人に迷惑が掛からなければ、それでいいと思います。だからいつも言っているのですが、本当に大切なのは、自分の心の声が聞こえましたか、それを封印してませんか、もし聞こえたら、それに素直になった方が幸福感を味わえるのではないですか、ということです。
私は、基本的に、地球の法則や自然の摂理は大切で、それについては、きちんと認識した方がいいと思います。しかし、生前計画では女性として生まれる予定が、男性の体に入ってしまったなんてことがあるかもしれないし、そのこと自体が計画していたことかもしれません。なので、どうやったら、自分は幸せに生きられるのか、いろいろ模索するのは当然だと思いますし、誰もが、それを邪魔するのは許されないことだと思います。こうして見てくると、こうあるべきという、べき論に注意した方が良さそうです。これが邪魔になることもあると思います。
最近は、ますます、この男女平等という言葉を使って、いろいろなことをやろうとしている雰囲気を感じます。日本のテレビドラマでも特徴的なものが取り上げられています。これは、世界的に突然メディアで取り上げられる様になりました。一律的にです。でも、これにも良い悪いは言いません。しかし、他の人を困らせること、差別助長、分断、混乱を意図するものであれば、それを企てた人達、乗ってしまい助長した人達は、それなりの
“次”が、それぞれの目の前に現れると思います。昨日も言いましたが、本当に今は、自分の心の声や周りで何が起きているかを意識して生活しないと、変なことに巻き込まれて面倒なことになりかねません。その為のプロテクト法を自ら考えなくてはならないと思います。何度も言いますが、自分の心の声に従い、嫌と感じたら、みんながやっていても従わない、これが大事なことだと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました