役に立っているのだろうか

意識

役に立っているのだろうか
 私達の中には、次の様なことを考える人がたくさんいると思います。それは、「私は役に立っているのだろうか。存在する価値があるのだろうか」ということです。
私もこの様なことを考えたことがあります。私の場合は、役に立っているのかとか、存在価値についてではなく、なぜ存在しているのかということでした。
そう考える人の中には、役に立っているのか、存在価値はあるのかと深刻に思いつめて泣いてしまうくらい悩む人もいるのですね。優しい人なのでしょう。
ある人の本の中にあったエピソードですが、その著者が、知人から突然、「話を聞いてください」と言われました。「何でしょうか」と話を聞いたら、いきなり「私は生きていていいのでしょうか」と言われたそうです。その方はびっくりしながら、「当たり前じゃない、何言ってるの、堂々と生きたらいいのよ、馬鹿ね」と非常に驚いて返事したそうです。そして、こんなことを真剣に悩む人がいるんだと本当にびっくりしたと書いていました。そして、悩みを吐露した人は、この著者の一言を聞いて、それから元気になり,後々社会的にも活躍したとのことです。信頼する人の一言とは大きなものなのだと改めて思いました。違った一言だったら、またその後が変わっていたかもしれません。本当は自分でも分かっていたことなんだと思います。それを後押ししてもらい、はっきり自覚したのでしょう。いずれにしても、本人が、自分の意識を、どこに置くかなのだと思います。
 私は、人間は存在しているだけで役に立っていると思います。どんな人でもです。それは、その人が存在するだけで、他の人の経験の場を作る一助になっているからです。良い悪いではなくて、いるだけで何かしらの事象を形成しているのです。
例えば、私の存在があります。それによって、家庭では、妻は、楽しい気持ちや、逆に、嫌だなとか、イライラするとか、消えてとか、毎日いろいろな気持ちを抱いています。私がいなければその経験はできません。私にとっても妻の存在は同じです。だからそれだけで感謝なのです。たった一人がいるだけで本当に様々な経験ができます。会社に行けば、何十人もの人達がいて、それぞれ一人一人の存在が絡まり合って、より複雑な事象が生まれ、より複雑な経験ができます。そこにその一人一人が存在するからこその経験場ができるのですね。誰か一人でもいなかったらできません。もしいなかったら、また全然別の経験場になるのです。それだけ見ても、一人の存在とは、いかにそこにいるだけで役に立っているかが分かると思います。
だから、無理に、誰かの役に立とうなどと考えなくてもいいのだと思います。他に意識を向けすぎると、他人軸に振り回されてしまいます。さらに、自分を見失ったら、それこそ深刻な悩みに発展するかもしれません。自分の軸を見失った状態ですね。だから、まずは、自分をよく知り、整えて、愉しくやる事が、より誰かの役に立つことになるのだと思います。そうすることで、自分から愉しい軽い波動が発せられるわけですから、周りに好影響をもたらします。
要するに、いつも言ってますが、自分は本当はどうしたいのかということを認識したら、その自分の心に素直に生きるということが大切なのだと思います。地球上にいる、一人一人みんながそうすれば良いと思います。そうすれば、自分をよく知る事になり、自分を見失うこともなくなるのではないでしょうか。そして、次第に、他の人に対しても優しく、思いやる余裕が生まれると思います。自分のことが分からなければ、なかなか他を思いやる余裕はでてこないと思います。これがよく言われる、”まずは、自分を愛することから始める”ということなのでしょう。
“自分を愛することを知る”、これです。

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