役割分担

意識

役割分担
 世界の人々は、様々な境遇の中で毎日暮らしています。その中には、綺麗な水をまともに飲めない何億人もの人や、争いに巻き込まれた地域に住んでいる人達や、人種差別を受けて、住んでいる場所から追い出される人達や、人身売買に巻き込まれた人などがいる反面、逆に有り余るお金や物に囲まれて暮らしている人達もいます。本当に様々な境遇の中で毎日の暮らしを営んでいます。また、富がある無しに関係なく、精神を病んでしまった人、引きこもって社会との接点を持てない人など様々です。無数のシチュエーションがあります。
その中で、辛い境遇に置かれている人達や助けが必要としている人達を見たら、多くの人は、なんとかしてあげたい、助けたいなどと思うのではないでしょうか。
しかし、自分ができることは、限られているのが現実です。それでも、無関心でいるよりは、何かしらの形で手を差し伸べることは大切だと思います。募金などの場合には、赤十字などの組織に資金提供するのではなく、直接的にそれを必要とする人に資金などの援助をする方が良いと思います。大組織だと本当に必要とするところに届かない場合もあり、確認が困難だからです。この実態も近い将来明らかになるでしょう。
ただ、支援等するにしても、無理はしなくてもいいと思います。その大変だな、可哀想だなと感じる人がいるところまで自分をわざわざ置き直したり、自分事のようにしない方が良いのだと思います。その様な境遇を経験しているところまで、無理に自分を戻して、役に立とうとしてもうまくいかないかもしれません。自分は、もうその境遇での経験は終わっていて、今は別の経験をしているかもしれず、やり方を忘れているかもしれないからです。つまり、今生での役割が違うということです。なんだかうまくいかないと思ったら、自分はここじゃないということかもしれません。また、あまりやり過ぎると、かえって余計なことになるかもしれず、その人のせっかくの学びの場を奪う事になるかもしれません。その場面で必要な人達がそれぞれの配役で合意のもと今生での経験をしに来ているそうです。だから、自分の心に素直に従って目の前の自分がやるべき事に淡々と対処して行く方がいいのです。
因みに、弁護士の秋山義胤さんは「道ですれ違うだけの人とも合意している」と言い切っています。だとしたら、面白いですね。次からはすれ違う人をしげしげと見てしまうかもしれません。
今話したことは、本当かもしれないし、そうじゃないかもしれません。しかし、本当だとしたら、もう少しリラックスして日々の暮らしを過ごせる様な気がします。もっと自分軸になってもいいということです。無理に人の役に立たなくちゃとか、世の中のために何もしてないとか、必要以上に考え過ぎなくても大丈夫ということです。救い主は自分です。答えは、いつも内から引き出してきました。
私達は、それぞれが、そこにいるだけで、役割分担している大切な存在なのです。

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