心を和ませてくれるもの

意識

心を和ませてくれるもの
 今朝の散歩で、ある情景を見かけました。それは、体半分の大きさのランドセルを背負った小学生が、学校にあまり行きたくなさそうにゆっくり歩いていました。その後ろからお母さんが傘をさしながら、見守るように歩いていました。いつものお母さんの見送りは、交差点を渡ったところまでの様ですが、今日は「雨が降ってるからもう少しね、、」と優しく言いながら交差点を渡って行きました。渡ってからは、二人並んで、何か話しながら歩いてました。でもその小学生は、相変わらずうつむいたまま、ランドセルを重そうに背負いながらゆっくり歩いて行きました。私は、この小学生に何があったのかな、などといろいろ想像しながら過ぎ去りました。
この様な、日常の何気ない風景に接した時、なぜかはよく分かりませんが、時として、胸の辺りで何かがほどける様な感覚がして和ませられることがあります。そんなときには、自分の心が何かに満たされて、自然と笑顔になってたりします。
この様な心が和んだ状態で、いろいろなまわりの状況を見直してみると、また、いつもと違って見えたり、感じたりして、なぜあんなに腹立たしく感じていたのかとか、あまり気にしなくてもいいことかもしれないなとか、きちんと謝ろうとか、もう許して水に流そうなどと思うことがあります。この状態が”静心”なのかもしれません。だから、上江洲義秀さんは、この状態を保ちなさいというのでしょう。この状態になると今までの自分が、その対象に執着してたことにハッと気付いたりします。心が和むことで、静心状態になり、視野が広がるのだと思います。
私達人間は、知らず知らずのうちに、感情に囚われていることが多いのかもしれません。私も、いつも偉そうなことを言ってますが、度々、この様な何気ない日常の風景を見て、和ませられます。そして、何かに執着している自分に気付いたりします。その度に、何かに対して、なんとなく、”ありがたいな”と思うのです。
引用します。
「人間は自由という手段を与えられており、天使にも堕天使にもなれる存在です。癒しは心を作り、心を鍛えることで得られます。何を見、何を聞いても癒されるあなたであっていただきたいと思います」(神様がくれたたった一つの宇宙の法則 上江洲義秀著)
引用終わり。
これは上江洲義秀さんの言葉なのですが、今まであまりピンと来ませんでした。しかし、今日、なんとなく、前よりは分かったような気がしました。人は、毎日、様々な経験をして、その時様々な感情を得ます。それらの感情に飲まれずに、コントロールすることで、心を作り、鍛えられるのだと思います。そうして、次第に何を見ても、何を聞いても癒されるようになるのかもしれません。目の前のことは自分が引き寄せたこと、自分に必要なこと、と意識するとやりやすいと思います。
因みに、上江洲義秀さんは、対話をしている相手に、どんな言葉を投げかけられても、天使の囁きにしか聞こえないと言ってます。
私は、なんとなく頭では理解できます。しかし、実際の体験で、相手に酷いことを言われたときなどには、まだまだこの様に”天使の囁き”と受けとめられる様になるのは難しいと思います。できないとか、無理だとは考えません。そうすると制限を自分にかけてしまいますから。でも、目の前のことに、しっかりと向き合って、丁寧に対処する努力をしていれば、私のタイミングで、その境地がはっきり分かる時が来ると思います。だから、焦らないで、あるがまま、なるがまま、やって行こうと思います。それしかないのかもしれないし、それでいいのだと思います。

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