心配するより信頼する

意識

心配するより信頼する
 「あなたのことが本当に心配だから言うのですよ。」
この言葉はよく日常的に聞くものじゃないでしょうか。
特に家族の間でよく聞く言葉だと思います。もちろん家族間だけではなく、会社でもよく聞く言葉だと思います。
私が思うに、本当に相手のことが心配で言っているのだと思います。まれに相手に、なんとか言うことを聞かせるためのセリフになっている場合もあると思います。でも結果的に余計なお世話なのかもしれません。
例えば、着る服の好みは一人一人違います。傾向性はあるのでしょうが微妙に違っています。家族が出かける時に着ている服装を見て、何か少し変だなと感じた時にどうしますか?いつも似たような格好をしていて、でも本人はお気に入りだったとしたら。
私は何も言いません。どう?と聞かれたらそれなりに答えます。でも大体の場合本人の中で答えは決まっています。だから、言いません。本人が何かに気がついて心変わりしたら、それなりに服装も変わります。こちらの好みや世間体の見た目で本人の意思を変えようとはしません。余計なことだと思います。
極端なことを言えば冬にTシャツ、短パン、サンダルでも基本的に言わないです。本人がそうしたいのでしょうから。この意見には否定的な方が多いと思いますが。
でも普通は、風邪をひくのではないかと心配のあまり、いろいろ言う人の方が多いと思います。結果、うるさいな、となります。
たぶん、自由意志の尊重、選択の自由とはこれだけ、いやもっと徹底したものなのだと思います。あくまでも私の見方です。
もう一つの例として、少し太めの人がいるとします。本人は今までずっとそれで楽しく、何の支障も無くやってきました。そしてお付き合いする人ができて、ある日一言、少し痩せたら、と言われて悩んでしまいました。これまでは、自分のことをこれでいいとやって来て楽しく幸せだったのですから、別に太めでもいいじゃないですか。本人は気にしていなかったのですから。太めに抵抗感、もしくは世間的に恥ずかしさを感じたのはお付き合いしている人、他の人です。自分がそれで良ければ、他人軸なんて気にしなくていいと思います。いろいろうるさい人とお付き合いしても楽しくないでしょう。
私が思うに、自分のことを楽しんでいる人は他人のことにいろいろ言わないものです。自分のことに意識が行っていますから。ですから、自分のことを楽しくやっている人が増えたら、もっと居心地の良い世の中になると思います。
ただ、皆さんは自由に、自分の考えでやってください。私が今言ったことは、この様な考え方もあると頭の片隅ででも覚えておいてくれたら、いつか役に立つと思います。何でもかんでもきちんとやらなくていいと思います。良い加減を見つけてやればいいのでしょう。
要するに、自由意志の尊重と選択の自由、自分の感情を相手に投影しないこと、つまり、心配するより信頼しましょうと言いたかっただけです。お互い楽で愉しいと思います。

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