思いやり
私が望む世界は、「やさしく、愛に溢れ、互いに思いやり、他人に強制することなく、自分の好きなことをきちんとできる」というものです。
この中で、思いやりについて少し感じていたことがあります。それは、自分が本当に思っている、いわゆる、心に思う言葉を抑えて、時には、本当はそう思っていない、心に反する言葉を発することになる場合もあるのではないかということです。これを続けていると、自分の中で、心の不一致が過ぎて、やがて臨界点を迎えていろいろな形で爆発してしまうのではないかと思います。場合によっては、周囲に迷惑をかけることになるかもしれません。
これに対する一つの解決策として、「心に反した言葉を発するより、むしろ沈黙している方が良いのです。または、心に思ったことを吟味し、言葉を選びながら穏やかに相手に語りかけ諭すのが望ましいのです」と上江洲義秀さんが言ってます。
たしかに、と私は思いました。
私は、全てのものごとは、自分の思い、から始まると考えており、それがポジティブだとその方向に行くでしょうし、ネガティヴだと、やはりその方向に行くと思います。つまり、自分の思いを変えれば望む所にものごとは向かうという事です。
また、ある特定の事に意識が縛られていると、その影響下に入ってしまいます。ですから、ものごとに執着しない方が良いのでしょう。私も最近はある特定の事に執着していたきらいがあります。はっと気がつき反省しております。狭くなっちゃいますから。意識も、世界も。
しかし、思いやりとは、なかなか難しいものかもしれません。自分の気持ちに嘘をついてまでというのは辛いでしょうし、他人もそうでしょう。自分の意思、他人の意思がありますから、互いに尊重しないといけません。自由意思の尊重です。折り合いをつけるべくお互いが調和の努力をするという事ですね。
だから、他人に強制することなく、という意識が重要になってくるのです。これが土台にあると、少しは折り合いをつけやすくなるのではないでしょうか。
この世界はバランスを取るのが大事です。
難しい、けど、面白いです。
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