恨みに思うこと

意識

恨みに思うこと
 私達は、日々の暮らしの中で、様々な人達といろいろな関わりを持ちます。その多くのことが、自分の思い通りにはならず、何かしらの妥協点を見つけ出し前に進んでいます。しかし、納得いかないこと、理不尽なこと、騙されたと感じること、相手の無知ゆえに被害を受けたと感じることなどが自分に起きたら、妥協するのは難しく思ったり、すぐに消化できないのではないでしょうか。場合によっては、長い時間そのことが頭から離れず、相手を恨みに思うこともあるかもしれません。
例えば、今世界中で起きているコロナ・ワクチン詐欺ですが、非常にたくさんの人が健康被害にあったり、亡くなっています。接種する、しないは個人の選択の自由です。最低限は、家族内でどうするか話し合うことはあると思います。それで、自分の家庭では受けないことに決まったとします。しかし、パートナーの親などから、絶対に受けないとダメ、受けなければ周りに迷惑をかける、打たないなら会わないなどと執拗に言われて、受けた結果健康被害や、亡くなってしまったらどうしますか。この様なことが全世界で頻発しています。会社からの強制、国によっては、嫌がる人を羽交締めにして強制接種などもありました。これらは、まさに、理不尽、脅迫、強制、無知ゆえの従属・強制と言えるのではないでしょうか。ある意味、一生を棒に振ることにすらなりかねません。これが、自分や自分の大切な人に起きたらどうでしょうか。初めは、嘆き悲しみ、次第に理由がはっきりしてきて、誰かを恨むことになるかもしれません。
ここで、ある考え方をご紹介します。私達人間は、一人一人、地球にここならではの経験をしに来ています。その経験から様々な感情を味わいます。そして、いろいろな気付きを得て、波動を高めていきます。それを何度も繰り返して大元に戻ります。また、地球に人間として来る際に、生前計画書、またはブループリントを自ら作成して来ます。ここには、どこの国に生まれるか、性別は、名前は、両親はどんな人にするか、何歳くらいに光に帰るか、容姿は、一生に受ける病は、健康体か病弱か、障害は、いつ、何を、主に経験するか、結婚するか、子供を持つかなど詳細に決めて来ます。それを運命とか宿命と呼ぶこともあります。ただ、運命は変更可能ですが、宿命は変更できません。(運命・宿命で書きましたので、詳細はそちらをご覧ください)一人一人には、自分の課題があり、それをクリアしなくてはなりません。出来なかったり、逃げた場合には、今生だけではなくて、その次、またその次とクリアするまで、舞台設定を変えて、何度もやり続けます。以上の様な話をどの様に感じますか。受け入れられるでしょうか。
この説からすると、人から言われたからワクチンを嫌々接種した様に見えても、それは、自分で決めて来た生前計画書にあるもので、自分でこの様な経験をすると決めて来たのかもしれないということになります。自分の周りにいる人とも、生前計画を立てる際に合意済みなのかもしれません。この様な見方もあることを知っていれば、もしかしたら、少しは消化できるかもしれません。私は基本的にこの考え方です。しかし、今例に挙げたことが自分事になったら、消化できるかどうか全然自信はありません。大切な人がそんなことになったら、誰かを恨みに思い、それを機に人間が変わってしまうかもしれないと思います。だから、この様なことにならない様に気をつけるようにしています。ただこれは、表面意識でそう望むだけで、魂が望むことや生前計画にあるのならば、やはり、その悲しみを経験して、感情を味わい、そこから何かを学ぶ必要があるのかもしれません。
世界中には、本当にとんでもない経験をしている人がたくさんいます。その人達はどうやって自分の気持ちを消化しているのでしょうか。人間とは、頭で分かっているのと、いざ行動するのとでは、天と地ほどの違いがあるのかもしれません。やはり、私達は、あるがまま、なるがままを受け入れて、それが世間一般的に良いことでも、そうでないことでもしっかりと向き合って、丁寧に対処していく努力が大切なのだと思います。辛すぎることもあるけれど、そうしていろいろ経験し、たくさんの気付きを得ていかなければならないのだと思います。

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