悔い改め
「悔い改めが赦しに先行する。」
私達人間は日々何を思い、何を語り、その思いをどの様に表現して生きているでしょうか。家庭、学校、職場などで展開する目の前の事象に何を見て、何を思い、どこに自分の意識を向けているでしょうか。
もしかしたら、他人の言葉、行為ばかり意識し、自分の思い、言葉、行為は棚に上げて、他人のそれを咎めたり、裁いたりしてはいないでしょうか。現に、テレビのワイドショーやSNSのやり取りを見ていると、有名人の行いや一般人の不適切とする行為などを、ことさらスキャンダルにして、ああでもないこうでもないと騒いでいます。私には、対立、不安、恐怖をじわじわと煽っている様にしか感じられません。もし、これを、MSMやSNSを支配している一部の人達の様に、自分達の我欲の為に意図的にしている人がいるのならやめた方が良いと思います。その様な不調和な想念は、いずれ必ず自分に戻ります。
誤解を招く言い方かもしれませんが、私達人間は、どうでもいいことで大騒ぎし、今生の貴重な時間を無駄にしている様に感じます。こんなことばかりに時間を費やしていたら、一体いつ自己改善の時間を持つことができるのでしょうか。
己の外側ばかり見て、内側を見ないで今生を終えてしまったら、自分の本質が何なのか分からずじまいで、また迷いのまま右往左往してやり直しになってしまいます。私達人間が何をさて置いても意識を向ける先は己の本質です。本質である真我(神我)のみを見つめることです。これが成就するということです。それは真我(神我)であること、真我(神我)を生きることです。それは愛であること、愛を為し生きるということです。愛を為すとは、すべてを慈しみ、すべてを赦し、すべてを生かし生きることです。共存、共栄、共生、調和を意識して生きることです。
しかし、赦すということは何でもかんでもただ赦すということではありません。己の悔い改めが先なのです。全く自己を省みない人をそれでいいですよとばかりに赦していたらこの世はどうなるでしょうか。
冒頭の言葉は、自己を省みることの重要性を伝えています。他の批判ではなく、自分の思い、言葉、行為を省みることを意識しなければならないということです。外(この世)は迷った意識の現れである結果世界です。そんなものをいくらああでもないこうでもないと言い合っても真の解決にはならないということです。外側であるこの世の結果世界(偽我の世界)を結果(迷った思い、偽我)で解決することはできないということです。結果世界の問題を根本的に解決できるのは、すべての原因である本質だけではないでしょうか。だから、本質のみを見つめなさいということになるのです。なぜなら、そこにすべての解決があるからです。この視点に気づく人が増えれば、地球は平和になると思います。因みに、私は、この世を価値の無いものと言っているのではありません。それぞれ一人一人の思いの現れの結果である世界と言っています。一人一人がそこから何を学ぶことができるかが重要です。自分で”ああ、そういうことなのか”と気づくことが大切なことなのです。
これを今までできなかったから、私達は今、肉体を持ってここにいるのだと思います。
つまり、自分が本質そのものであることに気づかず、何か他のものだと思い込み、本質そのものを生きることができず、迷い生き続けているということです。成就してないということです。
「成就というこの大いなる業をあなたたちは地上においてのみ為すことができる。しかも今努力することが如何に重大であるかをあなたたちはまだ理解していない。み霊をみ霊から引き離すことはできない。それは不可分である。」(心身の神癒)
つまり、今生、肉体と時間を与えられている間にしか成就できないということです。いかに今生が貴重であるかが分かるのではないでしょうか。そしてまた、生きる真の目的が分かるのではないでしょうか。
聖人は、迷える私達を放蕩息子と喩えています。その放蕩息子が様々な経験を経た末に、
「父の愛が解ったとき初めて心底(ハート)より悔い改めが起こり、その時彼は真に赦されたのである。かくて彼は彼本来の霊的状態、即ち自分自身が神の中にあるという自覚を取り戻し、喜んですべての人々の僕となり、自分が他の人よりして貰いたい通りのことを人々にするようになる。」と言っています。
そして、この一連の流れを、
「あなたたちがこの地上で学び取らなければならないことなのである。これまであなたたちは、自分の尺度で悪いことをしたと決め込んだ人々に対して愛を出し控えたことがどんなに度々あったことか。そのような断定はあなたたちの関知することではさらさらないのである。それはすべて父なる神とその子との間のことがらである。このことをよくよく銘記するならば、あなたたちは他を批判することがなくなり、批判という武器はむしろまず第一に自分自身に対して向けるようになるであろう。」(心身の神癒)と言っています。
要するに、結果世界とは、私達人間にとっての学びの場であり、そこで様々な経験を通して己の思い癖、悪習を正すことです。意識を向ける先は、他を咎めたり裁いたりすることではないのです。自己改善です。
そして一番大切なことは、自分の本質を自覚し、それそのものを生きることなのです。それが成就するということです。我を生命と自覚することです。生命とはすべての僕であり働き手です。一瞬たりとも休むこと無く働いています。一瞬でも休んだら今目に見えているものは無くなります。これが上記で言っていることです。そして、いつかは、
「父の愛が解ったとき初めて心底(ハート)より悔い改めが起こり、その時彼は真に赦されたのである。」という状態に達します。
私達人間は、自分で愛(本質)が何であるかに気づく努力を続けることが大切なのです。
なぜなら、「我既に愛そのものである。」からです。
悔い改め

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