我を忘れる時
私達は、日々の生活の中で、カッとすることがたまにあると思います。生きていれば誰しもあることだと思います。そんな時ほど、意識して、一呼吸置くことが幸せを失わない為に大切なことなのだと思います。”我”を忘れない様にするということです。
私は、やっと、この歳になってそれができる様になった気がします。できる様になったというよりも、”我”を忘れることをしなくなった、と言った方が良いかもしれません。因みに、”我”とは本当の自分のことです。私達が時間をかけて思い出そうとしている、”本当の自分”のことを意味します。つまり本質、分魂のことです。だから、”我”を忘れると、望んでいる状態にならないのです。つまり、一呼吸置くことができると、”我”を忘れないから、本当に幸せが継続するのです。
私も、昔のことですが、上司に高圧的に言われたり、カミさんからガーッと言われたりすると、普通にカッとして、場合によっては同じ調子で返したりしたことがありました。それはそれで構わないと思います。それなりの結果が自分に戻ってくるだけですから。気づくまで何度も同じことを繰り返します。誰でも、何となく何度も同じ事を繰り返すというのがあると思います。それが今生の課題の一つかもしれません。
でも自分が変わると不思議と相手や自分の周りが変わることに気付きました。高圧的な人、ガミガミ言う人など、こちらが思わずカッとしてしまう人は、いろいろなパターンで現れます。そして私も感情の赴くままに、その様な人達と同じことをしていたのです。自分の中にその人がいたのです。だから、他人は自分の写し鏡と言うのですね。そしてカッとなったことをよく考えてみたら、以外にどうでもいいことで、そんなにカッとしなくてもいいことが多かったのです。そう気づいて私の反応の仕方を変えたら、カミさんはすごく変わりました。
だんだんと自分のペースで、本当の自分を思い出していけば良いのかもしれません。聖人君子になりましょうと言っているのではありません。別に今のままでいいのです。それなりの反応が返ってくるだけですから。それが今自分に必要なことなのです。それが嫌なら、本当はどうしたいのかを考えて、心に素直に従えばいいと思います。そうやって本当の自分に気がつき始めて行くのです。やり方は”いろいろ”でいいのです。個性がありますから。他の人が代わることができない自分だけの個性です。それぞれが自由にやるのがいいのです。それで全体として成り立っているのですから。一にして多ということです。
“我”を忘れる時、それは自分軸から他人軸になっている時なのかもしれません。
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