救い主

意識

救い主
自分です。
「自分をよく知ること、自分を開いていくこと。アドバイスはきっかけにはなるが、どう受け止めるかは、一人一人の心の在り方次第です。」山田征さんの本の中にある言葉です。
私達は他人のことはよく観察していろいろと評価しています。
自分自身のことはどうでしょうか。以外によく分からないのかもしれません。
なぜこれを選んだのか?
なぜこれに腹を立てたのか?
なぜこれが好きなのか?
なぜこれが嫌いなのか?
自分に何度も問いかけて、自分の内に内にと入っていくと本当の自分が見えるかもしれません。一つのやり方です。瞑想もいいと思います。これで次第に自分を知ることになるかもしれません。
そして、自分が設定している制限を(できないと思っていることや苦手だと感じていることなど)外していくことで、自分を開いていくことになるでしょう。意識を広げていくということです。それは、次元上昇につながっていきます。その様に自分を思い出し続けていくと、ついには大元に戻ることができるということです。
それから他人のアドバイスを聞くという選択もあるでしょう。しかし、アドバイスをした方からすると、同じ事を言っても捉えられ方は、伝えた相手によって違ってしまうことが多々あります。感謝されたり、全く逆に恨まれたりといろいろです。ですから、話す方も、聞く方も、一つの参考意見、気づきのきっかけにする程度の感覚を意識した方がいいかもしれません。
つまり、「多くの歴史の中で、他へ解決の糸口を見つけようとして、得られたためしはありません。すべては、それぞれの裡なる魂の中にあって答えが引き出されて来ました。」ということなのです。同じく山田征さんの本の中の言葉です。そういうことなのでしょう。
そういうことならば、「他人を救い得る、救ってやろう、というのは傲慢です。なぜならば人それぞれの救われ方があるからです。」せっかくの学びの機会を逸してしまうかもしれません。場合によっては、余計なお世話になるということです。やさしさは大事です。でも、声をかけてもらいたい時、ほっといてもらいたい時があるでしょう。そういうことです。様々なのです。だから、もっと自分に集中していいのです。その方が全体的にもいいのです。
その為には、私達は、すべてを自分の必要性として認めることが重要です。今の目の前のことは、自分で選択した結果であり、自分に必要なことが起きていると意識することができるかどうかです。できないと他人のせいにし始めます。そして辛い日々が始まります。でもこれも気づくまでやればいいのかもしれません。そのプロセスで経験することは貴重なものでしょうから。ただし、感情にどっぷりハマらないように、たまには客観的に見ることを意識した方がいいと思います。私は今こんな感情を味わっていると認識するという感じでしょうか。
本当の救い主は、自分自身です。
私はこの見方がこれから大事だと思います。
でもこの話も、ふーん、そうなんだ程度の話しですけど。私の思い込みですから。

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