時間
私が大学生の時に、黒井千次という作家の授業を受けていたのですが、その時に取り上げられた課題の一つが、「時間とは何でしょうか」というものでした。
その時の私は、何を言ってるの?この作家先生は、という感じで、何が何だかさっぱり分かりませんでした。質問されていた学生も、よく分からない様子で答えていたのを覚えています。実際、時間とは何だと思いますか、と質問されてすぐに答えられる人は少ないと思います。物理学者は別かもしれませんが。一般の人が質問されて、自信を持って答えられる人は少ないのではないでしょうか。正しいかどうかは別にして、これに論理的に答えられる人は物理学者でスピリチュアルな人かもしれません。意識はその瞬間しかない、その変化が続いていくだけ、なんて言われて、はい、そうですね、なんて理解できる人は少ないかもしれません。分かりませんが。
私達の本質は、元々何の制限もかかっていない自由なものだそうです。そして、毎瞬毎瞬ただ変化しているだけみたいです。しかし、地球で肉体を纏うと、重力の制限がかかります。思ったことがすぐに実現しません。本質(分け御霊)が、あそこに行こうと思ったら、その瞬間にそこにいるのでしょうが、肉体があるので、いくらそう思っても、肉体を持ってそこに瞬間的には行けません。100メートル進むのにも、瞬間瞬間の変化の積み重ねですから、思ってから100メートル先に到着するのに約1分掛かってしまいます。つまり、そこに到着するまでの毎瞬毎瞬の変化の積み重ねを地球では1分の時間と呼んでいるのです。過去から現在、未来と進むタイムラインです。この流れの時間軸だけを見ているのが地球です。そういう法則で存在しています。そして50メートル行ったところで変更して、左に曲がったらタイムラインの変更になります。結果が変わるということです。だから、向こうから(本質が自由になっているところ)見ていると、こちらの思いは伝わりますから、あちらからは、先がある程度予測できるという訳です。向こうから、こちらの集合意識を読めば大体の未来がわかる事になります。変わることもあるでしょうが。
「私達の経験すること、すなわち、考え方、気持ちの持ち方、対人関係などには、すべてに時間的な始まりと終わりがあります。しかし、私たち自身に始まりと終わりがあるわけではありません」タデウス・ゴラス
この言葉は流してしまうとなんて事はないセリフですが、よく読み込んでみると、なるほどね、と思わせる深いセリフだと思います。つまり、自分と対象の相互関係には、始まりと終わりまでの時間があるけれど、それを認識している自分には時間はないということです。そして、自分のものの見方によって、感じられる時間の長さが変わるということです。つまり、自分が放っているバイブレーションによるということです。面白いですね。
要するにどうすればいいのかというと、「目の前のことに対して、世間一般的に、良いことも、そうでないことにも、しっかりと向き合って、丁寧に対処すること」をしていくのが大切だということです。どんな可能性にもさからわないことです。そうすれば、次第にバイブレーションが精妙に変化してくるということなのだと思います。すべてに、無駄はないのですね。
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