有る
人間が思ったものは、有る、そうですから、有り得ない、ではなくて、まずは、有り、と認めるところから始めてはどうでしょうか。宇宙の全てにあるものに対して、認識できたもの、自分の意識に入ったものは、有ると認めるということです。それからそれに対して関わるか、関わらないかを決めるということです。これで行くと、意識の広がりが格段に進むと思います。
私達は毎日いろいろな出来事を経験していますが、意に沿わないものには、速攻で、有り得ない、としてしまっているのではないでしょうか。できれば、無いものにしたい気持ちが結構本気で入っているかもしれません。でも実際はあるので無いことにはできません。ですから、どんなに意に沿わない事でもまずは仕方がないから有りとしてからそれを選択するかしないかを決めるということです。凄く悪い人でも、無い、という事にはできないですから。存在しなかった事にはできません。他人に迷惑をかける人はたくさんいますでしょ。そんなこともお互いに思っているかもしれませんし。だから嫌なことに焦点をあてても仕方がないのです。なるべく関わらないようにしたいものです。
何を言いたいかというと、私は、私達が知り得ていることは本当はほんの僅かなものなのではないかという事です。例えると、砂浜の砂を全体とするとその一粒以下かもしれないということです。
だからといって、人間の頭で全てを認識するのはキャパシティオーバーです。肉体には限界があります。なので意識に入ってきたものについては、有りとして楽しめるのであれば楽しんだ方が良いと思います。
本質レベルでは無限でしょうけど。自分で創造できちゃうわけですから。
つまり、肉体レベルでは許容範囲内で精一杯やった方が良いという事ですね。これも、ただそうなだけ、なのでしょう。本質で、今回はこの条件下でこれを経験して楽しもうと決めているのでしょうね。でも、許容範囲を越えたいとなったらどうしたら良いのでしょうか。もうここではやりつくした、もう飽きたとなったら。
地球上ではここまでという条件があるのでしょうから、さらなる意識の広がりに合わせて求める事をするには、また別の条件が揃った環境が必要なのだと思います。三次元、四次元、五次元、、、と変わるにつれて存在できる諸条件があるのだと思います。要するに場所を変える事になるのです。それも自分の本質がある程度になるとどの条件下で経験を楽しむか決められるのだと思います。大元の許可が必要かもしれませんが。
何だかワクワクします。
いずれにしても、それに関わるか、関わらないかは別にして、有る、をまずは認めて意識を広げて行こうと思います。大事な事だと思います。
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