権力に酔いしれた盗賊

社会

権力に酔いしれた盗賊
 国民から権力を限定的に与えられた公務員が、権力者側に立ったら、大変なことになります。しかし、残念ながらこのような人達は相当数いる様です。そして、この様な人達を”権力に酔いしれた盗賊”と称して、非難する人達がいます。少し過激で汚い言葉の様に感じましたが、よく考えたら、言い得て妙な表現なのかもしれないと思いました。
日本でも、官僚が、天下り先をたくさん作っています。一度定年退職した官僚たちが天下りして、ほとんど出勤しなくても数年で退職した場合の手当が巨額なものだそうです。中には、利権を維持するためには手段を選ばない人もいます。しかし、これらのお金は、すべて税金です。どれだけ自分たちに多く回せるかは、全体の金額が大きくなればなるほど絶対量が増えます。これでは、とにかく税金を上げる事に意識が向かうはずですね。国民に奉仕はしていませんね。
また、日本の政治家、官僚、経済界などは、海外の政治家やグローバル企業家たちから、脅されたり、すかされたりして、カバール、DSたちに、日本国内に回すべきお金をむしり取られてきた様です。政治家はそれに絡んで、キックバックを受け取るということをしてきた様です。権力を持っていますからやりたい放題になるのでしょう。司法、立法、行政が仲間だったら無敵です。
でも、ようやく世界中の多くの人達が気付き始めました。今までは、MSMなどから、”陰謀論”とレッテルを貼られてきたことがあります。それを話すと、白い目で見られてきたこと(権力大好きチーム達の共同謀議、いわゆる真実)が、やっと認知されてきました。だから、この様なことをする人達が、”権力に酔いしれた盗賊”と称されても、仕方がないのかもしれません。
もちろん、きちんと職務遂行している人の方が多いと思います。森友学園の件で、組織の論理の矛盾に葛藤した末に、亡くなった赤木さんの様な方は相当数いるのかもしれません。日本人は優しくて、真面目な人が多いのだと思います。
しかし、組織としての形が、ある程度出来てしまうと、なかなかそれに立ち向かうのは非常に困難です。でも、時間はかかるかもしれませんが、修正出来るところはして行った方が良いと思います。
私も経験がありますが、自分の仕事の存在意義を忘れて、組織の論理の元、組織を守ることや、お金を稼ぐという動機に染まってしまったことがあります。それの何が悪いんだ、と思ったら少し麻痺しているかもしれません。私もそう思って反発して突き進んでいましたから、相当麻痺していたのだと思います。そして痛い目にあって、そこで気づいて修正できたから、まだこれくらいで済んだのかもしれません。
順調に行っていたら、何も気づかず、”権力に酔いしれた盗賊”になっていたかもしれません。変なことをしている時は、心の声を無視しているのか、自分でも何をしているのか分からなくなっているのだと思います。”気づき”が足りなさすぎる状態です。お金はある程度あっても、”心が不調和な想念でいっぱいな状態”です。そんな私は、”お気の毒”という感じだったと思います。気が毒されていましたから。今は、すべてに迷惑をかけてしまったと反省してます。
また、組織に埋没すると、ある意味楽なこともあるのです。そこのルールにどっぷり浸かっていれば、安泰と感じます。何かあったら責任の所在も分からなくすることもできます。森友学園の問題を見てもそれがよく分かりますね。とにかく、自分事にならない様にする事と、利権を拡大する事に全力を尽くします。公務員の場合は、国民に奉仕するという理念が、どこかにいってしまった状態です。
やはり、人間は、自分事になって、初めて大変なことに、また大切なことに気づくのかもしれません。それでも、うまく回避できたら何も気づかないかもしれません。居心地よければいいという感じなのでしょうか。
 私達は、どこかの人生において、自分が迷惑をかけた人がいたら、その人の立場を、いつかは自分でも、間違いなく経験すると思います。自分でも身をもって経験して、その時の感情を味わうためです。だから、神様は平等なのです。いろいろな経験をさせてくださいます。
今、”権力に酔いしれた盗賊”をしている人達とは、もしかしたら、今生のお役目として、この役どころを引き受けてくれた人達なのかもしれません。こんなに酷いことをしてることに早く気づいて、ということで役目を果たしているのかもしれません。だとしたら、ある意味、ありがたい存在なのかもしれません。嫌な役どころを引き受けてくれているからです。
今は、全世界の多くの国の警察官が、”権力に酔いしれた盗賊”化しています。職務遂行とのことで、一般市民に暴力を振るい、DSの命令に従っています。そんな警官の一人から、自分にも生活がかかっているからどんな命令でも従わないと仕方がないでしょう、と言っている告白を聞きました。気持ちは分からないでもないです。でも、やはり、この様な人は自分事として、切羽詰まったり、痛い目に遭わないと分からないタイプです。まだ何かの気づきを得てないのだと思います。どちらかと言うと私もそのきらいがありました。痛い目にあって、どうするか初めて事を決められるタイプです。だから余計にわかるのです。かなり際どいところまでいったら分かるというのは、周りにも迷惑をかけます。でも、お互い自分に必要なことが起きているということです。避けずに、対処していくしかないのです。
いずれにしても、すべての人間一人一人に起きている、目の前の事象について、それは、自己責任です。結果が現れているからです。必ず原因があります。偶然はありません。だから、自分で何かに気づくまで、いろいろ経験し続けるということです。
私達は、何かに気づいたら、すぐに、身・口・意を正し始めるのが大切なことなのだと思います。

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