歩む道

意識

歩む道
 今の世の中、私達は、知らず知らずのうちに、”どこかの誰か”が、ある目的の為に作った道を、あたりまえの様に歩んでいるのかもしれません。もしかしたら、自分も何の違和感も感じずに歩んでいる真っ最中なのかもしれません。でも本当は、多くの人が、その道を行くのは辛くて嫌だと感じているのに、周りを見てもほとんどの人がその道を歩んでいるし、いろいろな人に歩むべき道を聞いたり、親に聞いたりした時に”人が生きる道とはそういうものだ”との答えが返ってきたら、「この世はそんなものなのかな」と思ってしまうのかもしれません。一方で、歩む道のことなんてまったく考えない人や、何となくそんなものかと考える人、また、あたりまえとされている道に違和感を感じて自分の道を行く人、悶々としながら諦めて本心を封じ込めてしまう人など、いろいろな人がいると思います。私自身、そんなあたりまえとされている道を歩んで来たのだと思います。でも、私はいつも、なんだかよくわからない違和感を感じていました。そして、それに耐えられず、私は途中で二度その道から外れました。何人かの方から、外れるなよと警告も受けました。そして、道を外れるとどんな扱いを受けるかも身をもって体験しました。でも、後悔も何もなく、むしろ貴重な経験と学びを得たと思っています。
では、知らず知らずのうちに、あたりまえの様に歩んでいる道とは、どの様な道なのでしょうか。その様な道と思われる代表的な例を挙げてみます。
ある強固なシステムの基に出来ている道があるとします。それは、家柄や、親の職業、資産、収入等を重視する有名幼稚園に入園するところから始まり、次に有名小学校、有名中学校、有名高校、有名大学に入り、有名企業や特別な団体などに就職するところで、ある程度の選別が終わります。そこで行われることは、それぞれの段階で、特定の範囲の知識を詰め込めるだけ詰め込むことです。その知識が、本当かどうかは分からず、または、何かに偏ったものなのかどうかも検証せず、誰かに都合の良いものをとにかく詰め込んで、テストで一定水準を取らないと、落第と認定してその道から外されます。そして一定水準をクリアした人が、頭の良い人、優秀な人、将来を嘱望される人、偏差値の高い人として選別されていきます。その後、その人達の扱われ方はさらに別格なものとなっていきます。そして、その人達は世間からは特別として一目置かれます。それらの人達の就職する先を調べると、何かが見えてくることがあります。長年かけて強固にシステム化されているので、特定の人達しか入れない組織があるのです。
もし、どこかの誰かがこの様な道を作っているとしたら、その真の動機が何であるかを追求した方がいいと思います。この道を作った人から見て、その道を歩んだ人が、道を作った人の意図した通りに仕上がっていたら、自分達の意図することに役立つ知識を持った人となります。つまり、あることに利する様に育てられた”洗脳度が高い人”ということです。それなら何の疑問も持たずに言うことを聞く可能性が高いし、なんと言っても”使える人達”ですから、彼らに従っている間は大事にされます。その様な”使える人”には、まずは社会的地位や特権、お金などの豊かさを授けます。それで普通の人なら有頂天になる人も多いのではないでしょうか。その様に有頂天になった状態で何年も生きていたら、完全に洗脳されて、自分を特別視する様な人間になるかもしれません。世界では、その様な人達が権力を握ろうとするのかもしれません。私達も、油断していると、自分も彼らのお仲間になってしまうかもしれません。気が付いたら、今度は自分が洗脳する側に立っているかもしれません。
 私達は、他人に褒められて有頂天になったり、他人に貶されて落ち込んだりする為に生まれてきたのではありません。自分の本質を自覚して、調和的社会を作り、共存、共栄、共生する為です。これは、私の思いでもあります。私達人間に、特別な人なんていらないし、本来、誰かより偉いとか、そんな特別な存在などいません。そう洗脳されてきたのです。私達人間は、ただ役割を演じて学びを得ているだけです。それを、本質を理解した上で楽しむのが本来のあり方なのに、役割そのものを、自分の本質、実在と錯覚してしまっている人が多いのだと思います。だから今の様な悲劇を招いてしまっているのだと思います。
しかし、上記の例に挙げた様な道を、世界のMSMや出版社が特集を組んだりして盛り上げ続けています。”どこどこの大学を出たら、社会的成功は約束される”みたいなことをじわじわ浸透する様に流し続けるのです。そんなことで人生を決められたらたまったものではないと思いませんか。錯覚した人達が情報をコントロールして、さらなる錯覚集団を作り、彼らの意に沿わない情報が人々に入らない様にしています。そして、人々は、テレビやラジオなどや、SNS、you tubeなどの手軽に入る情報に洗脳されて、みんなやっている、または、みんな言っているとか、今の流行はこれ、だってテレビで言ってたからなどと、いとも簡単に彼らの意に沿う方向へ誘導されてしまうのです。
なぜそんなに簡単に、多くの人達が誘導されてしまうのでしょうか。
自分の外側ばかりを観ていると、振り回されて錯覚に陥ります。一方、自分の内側を観ている人達は、その特定の範囲の道に対する興味が薄れてきます。なぜなら、自分の本質へ意識が向いているからです。
また、特定の道から外れた人は、変わり者、落第生、落伍者として扱われます。その様に道に沿って生きようとしない人にレッテルを貼ることで、分離感を醸成するためです。そのレッテルをつけるのに、特別感を持つ人達は、様々な分野でいろいろな策を練ります。どうやったら人々が分断する様になるのか、いつも考えているのです。一生の間の多くの時間を不調和な想念で心を満たしている人達なのです。彼らが背負うカルマの重さを思うと気を失いそうになります。それでも他を殺して生きる選択をするのですから、自業自得ということです。その様な分離意識を持つ人の中で、特定の儀式を経た人達がいるそうです。それが”権力大好きチームの中枢”の様です。
中枢まで来た人達は、司法、立法、行政を押さえて、この世での地位、名誉、叙勲、経済システムを独占し、自分達の勢力維持の為に仲間内で上手く使い回します。今だけ、金だけ、自分と仲間だけという意識状態です。それ以外の人達がどうなろうが、全く関係ないと考えて行動することができる意識状態です。それらの分断工作などの行為に、何の疑問も持たず盲目的に取り組んでいるのです。その工作ゆえに、不要な争いが絶えないのです。
 私達人間は、もっと自由なはずです。なぜ多くの人が、どこかの誰かが作った道を行かなければ生きていけないと認めるのでしょうか。もっと自分の気持ちに素直になって、やりたいことをきちんとやって生きて行く勇気を持たなければならないと思います。それには、”そうするという強い意思”を持ち、それに伴う困難には “忍耐”を持って、自分の道を進む”勇気”を持ち、継続する”努力”が大切です。だから、どこかの誰かが作った道なんて、そんなのは、ただの一つの考えにしか過ぎません。そんなものには、違和感を感じたり、辛くて嫌ならば、従わなければいいのです。”手下や奴隷の反乱”が起きない様に、彼らは、自分達の傘下にある、政治家、官僚、医師、テレビや雑誌や専門誌などを使って、特定の方向へ人々を向かわせる様にしむけています。でも、きちんと自分で調べて従わなければ私達はもっと自由になります。
彼らは煽り続けてきました。不安や恐怖を駆り立てて、対立構造を作り、争わせて来ました。今現在も、その様なことをし続けているとしか見えません。例えば、石油危機を煽りましたが何十年経ってもそれは来ませんでした。地気温暖化で煽るのもそうでした。そしてついに、SDGsで仕上げに来ました。一度冷静になって、各業界のトレンドや喧しく流しまくっている話題を見て下さい。おかしさに気付くと思います。
 私達人間は、もうこの異常な流れを止めないと、間違いなく地球に弾かれます。誰かが何とかしてくれることはありません。責任持って、自分が気付き変われるか、それだけです。地球に弾かれない様にするには、自分の心を調和的な思いで満たしていることです。殺して生きるではなくて、生かして生きるなのです。

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