求めるもの

意識

求めるもの

 あなたの求めるものは何ですか?

 人は、誰もが、生まれてから今までずっと、何かを求め続けてきています。それは、食べ物だったり、着る物だったり、お気に入りの文房具やおもちゃだったり、化粧品やバッグや靴だったり、バイク、車、時計、家、宝石などなど、挙げたらキリがありません。さらに、ものばかりではなくて、学級委員長、生徒会長、学生委員長、または会社や組織での様々な権限を持つポスト、支店長、役員、社長など、果ては叙勲などたくさんあります。この他にも人が求めるものはまだまだたくさんあります。友達、恋人、夫、妻、パートナーなどたくさんあります。それら何かを求め続けることを繰り返すのは、いろいろ手に入れても真に満足していないからかもしれません。
一人一人が数えきれないものの中から、何かを求める際に、そこで様々に織りなす思い、言葉、行為は、たくさんの出来事を創り出します。そしてそれは、良い悪いでは無くて、それぞれ自分に必要な体験、経験を与えてくれています。たぶんそれは、完璧な法則に基づいているのだと感じます。自分の思い、発した言葉、行った行為の波動は必ず自分に戻ります。その行為が感情に任せたままのものならそれなりのことになり、もしそれが嫌でより幸せになりたいのなら、そうなるような三つの行為(思い、言葉、行動)をすれば良いということです。自分ではそうしているつもりでも、なかなか思う様にいかないのは、自分で気が付かないうちに、その様な期待通りの結果にならない様なことを、三つの行為でしているのです。だから、期待している様にいかないのです。自分で、もし、感情、心、カルマ、運命などということを受け入れているのならば、それらに支配されて、ずっと法則通りに、蒔いた種の刈り取りを続けなければならないでしょう。私達人間は、毎日毎日何かしらの種を蒔いていますから、それらが何かの縁に触れて発芽したら、カルマ解消という宿題として、幾転生にもわたり、それらのことをやり続けることになります。それをどれだけ繰り返したら解消できるのでしょうか。たぶん途方もなく長い年月になるでしょう。そんなことは無理だとすら感じます。この輪廻からの脱却を解脱と言います。その解脱する方法は、私達人間の本質を完璧に思い出し、それそのものを生きることです。そしてそれは、明想をして、本質との融合を追求し続けることです。心に少しでも不調和な想念があると、なかなか本質根源とは繋がれません。なぜなら、自分と本質根源の波動が合わなければ繋がらないからです。ではどうすればいいのかというと、日々の暮らしの中で、自分の思い、言葉、行為を、”すべてを愛し生きる”ことそのものにすることです。なぜなら、本質は愛だからです。無限の生かしです。別の言い方をすると、”他を生かして生きる”というスタンスが自分のものになっているかどうかです。これはガチガチの真面目人間になり、良い人になるということではありません。それは、どんな状況でも、調和的で、共存、共栄、共生を意識しているかということです。だから、別に普通に生活すればいいのです。喧嘩や言い合いなどもあるでしょうが、それをどう解決するかです。それには、優しさを持ち、お互いの自由意志を尊重し、他人に強制せずということが大切で、それが前提にあった上で、自分の好きなことをきちんとすればいいのだと思います。なんとなく簡単に言いましたが、実際にやってみるとなかなか大変です。コツコツ努力し続けるしかありません。まずは、この本質と融合するという意思を持つことから始めて、それを意識しながら日々の生活をし、いろいろな場面で忍耐を忘れず、勇気を持つ事です。そして最も大切なことは、それらをし続けるという努力です。
人には、それぞれ役割が与えられています。その自分の役割を自覚できたら最高です。しかし、多くの人はそれが分からずもがいています。もし分からなければ、今自分がいるところ(家庭や職場)で、上記のことを意識してやり続けることだと思います。それは、自分の内側を見る癖をつけないと軸がブレてなかなかうまくできません。外側ばかり見ていると、様々な事象に惑わされてしまい他人軸になります。そうなると軸が定まらず、いつも体も心もフラフラしてしまいます。その様な状況になると、自分の意識は、どんどん本質根源から離れてしまいます。そして最悪なのは、どこかの誰かの言いなりになっている自分にまったく気が付かないで生きることになり、そのまま今生を終えてしまうことです。しかし、私達人間には自由意思がありますから、それもその人の選択です。もし今生で自分の本質に気が付かなかったら、本質根源との融合は、また別の機会でやり直すことになります。これが輪廻転生ということです。
私達人間が本当に心が満たされるためには、自分が求めているものが、本当は何なのかをはっきりと認識した上で、それを追求しなければならないと思います。認識できるまで、次から次へと、ありとあらゆるものを求め続けて、それらを手に入れたとしても、本当に満足しないのではないでしょうか。私達人間には、元々すべてが与えられているという人もいます。この意味を掘り下げて考えてみると、自分が本当に求めているものが何なのか分かるかもしれません。

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