生き切る

意識

生き切る
 昨日書いた中で、”生き切ることが大切”と書きました。それについて、私がどの様に捉えているのかを改めて話したいと思います。
“生き切る”というのは、長生きするということだけでは無いと思います。もちろん、長生きすることは、それはそれで素晴らしいことだと思います。人によっては、生まれてすぐに亡くなる人、数年で亡くなる人、小学生、中学生、高校生、大学生、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代でと、亡くなる時期は一人一人様々です。一般的に、80歳以上の年齢で亡くなると、いわゆる大往生と言われたりします。中には120歳位まで生きる人もいます。しかし、私は、生き切るということに、何年生きたのかというのは関係無いのだと思います。
 私達は生まれる前に今生の計画書(ブループリント)を描いて来ます。寿命、死に方まである程度決めて来ているとも言われています。どの様な両親の元に生まれるか、容姿、健康状態などを選んで、どの様な経験をするかという核を決めてくるようです。この核となるもの、いわゆる、課題をクリアするまで何回でも生死を繰り返す様です。逆に言うと、クリアできないと延々と同じことを繰り返すということになります。気づかないとダメ、ということですね。今生では、気づけず亡くなったら、また,次の生で諸条件を変えて課題に取り組むことになるのでしょう。因みに、私達は、前の記憶を完全に消去して生まれて来ます。その為に、何でこんな目に遭うのだろうなどと思うのですね。
 私は、一つの生において、目の前のことにしっかりと対処する努力を続けている、という状態の中で死を迎えるのが、生き切った、ということになるのだと思います。つまり、あるがまま、なるがままを受け入れて生きられたらそれでいいのだと思います。でも、あるがまま、なるがままを受け入れて生きるって、よく考えると、その時その時にしっかりと向き合って、丁寧に対処するわけですから、意外に大変だと思いませんか。面倒だから、特に考えもせず、ただ流されているだけ、別に受け入れているわけではないと思っても、実は、最終判断を下しているのは、毎瞬毎瞬、自分でしているのですから、私達は気が付かないうちに課題に取り組んでいるのです。つまり、これでいいのだ、それでいいのだ、ということになるのです。
要するに、一人一人の人生において、”私が私であることを自然に受け入れて生きる”のであれば、”生き切る”ことができるのだと思います。

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