私がいるところ

意識

私がいるところ
 自分の意識レベルは、今どこら辺なのかと、ふと思う事があるのではないでしょうか。
それを知る方法は、今、自分の周りにあるものが、どの様に見えているか、またそれを、どの様に感じるかということを認識する方法が、その一つだと思います。また、すれ違う人や実際に接する人に対する、自分の感じ方や、見え方、反応の仕方などを認識することで、レベルが分かるのではないでしょうか。つまり、見方、感じ方、反応の仕方など、それらそのものが自分の意識レベルだということなのだと思います。
例えば、一つのものを、同時に、十人の人が見た時に、同じ様に見えているかの様に言っても、僅かながらの違いは必ずあります。完全に同じというのは無いのではないかと思います。傾向性はあるにしても、全員違いが多少なりともあると思います。そして、このこと自体は、もちろん良い悪いはありません。ただそうなだけです。だから、自分の、その見え方、捉え方を、きちんと認識することがまずは大事なことなのだと思います。認識したら、それが嫌だと感じたら、変えればいいし、特に何も感じなかったり、または、これでいいと感じたら、そのままでいいのでしょう。
人に対する見方、接し方も同じで、すれ違う人に対して、じっと見たり、チラッと見たりして、その時思うことが自分そのものです。今の時点の意識レベルです。接する時も、感じたままを言葉に出す人や、丁寧に対処する人、警戒心を露わにする人、目が合ったと難癖をつける人など様々あるのではないでしょうか。そして、その接し方、感じ方そのものが、今の自分です。その接し方なども、きちんと認識して、それが嫌だと思うなら変えればいいし、これでいいと思ったり、何も思わないなら、そのままでいいと思います。世の中には、わざと難癖をつけて喧嘩をしたがる人もいますから、理解できなくても、実に様々な意識レベルがあるということです。このレベルというのは、優劣を意味してるわけではありません。自分の位置を表すために便宜上使っています。
「ありがとう、兄弟姉妹。私の意識をここまで導いてくれたことに感謝します」タデウス・ゴラスさんの言葉です。
私達は、自分が生まれてから今まで、すれ違った人も含めて、実に多くの人と接してきました。その人達がいたから、今の自分の意識レベルにあるのです。それが、自分で満足なのか不満なのかは別にして、現実は上記したことを認識すれば、とりあえず今の自分がどの位置にいるかは分かると思います。他人から何を言われようが関係ありません。自分で認識すればいいのです。怒られてばかり、優しい人が周りに多い、流れが良い、悪い、など自分が原因です。だから、常に今の自分を知ろうとすることで、自分軸になります。それで、日々の生活の中で、嫌なこと、嬉しいこと、嫌な人、心地よい言葉、ありがたい人、優しい人など、いろいろ、周りに現れます。それが今自分に必要な、兄弟姉妹ということです。ゴラスさんは、その全ての人達に感謝しているということなのです。
「そのときから、私はだれの非難を受けても、悪口を言われても、天使のささやきにしか聞こえなくなりました」上江洲義秀さんの言葉です。
信じられないと思う人や、そんなことあり得ない、嘘だと思う人もいるかもしれません。それくらい、ある意味、インパクトのある言葉ではないでしょうか。
この言葉は、上江洲さんが明想をしてて、無限光輝くという全ての繋がりを目にした後に得た境地です。これを経験した人は私は二人知っています。その人の話を聞いたということです。知り合いではありません。上江洲さんは明想で、もう一人の方は、散歩中にその境地になりました。どちらも嘘をつく方ではないと私は思ってます。つまり、この経験をするには、心がけは必要かもしれませんが、特別なやり方はないのかもしれません。ふとした時に訪れるかもしれないという事です。
私は、ゴラスさんと、上江洲さんのこの言葉は、ある意味同じ事を言っているのだと思います。その人達がいなかったら、今の自分はいなかった、ある意味自分の写し鏡としての存在であり、”そんなことやり続けていたら、私みたいな人がこれからもずっと現れ続けますよ”などと気付かせてくれる存在ということです。そのお互いの役割と存在に対して、感謝の気持ちに満たされた境地を表す言葉だと思います。一言、凄いと感じます。
私も、この様な境地を経験してみたいと、最近本気で思うようになって来ました。焦らず目の前のことをしっかりと向き合って、丁寧に対処していこうかと思います。私のやり方はそういうことです。

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