終局

意識

終局
 終局とするところのもの、それは「あらゆる魂の間における平安と愛と善意である。」

 これが(地球における?)神の計画の終局だとある聖人が言っています。聖人により言い方は異なりますが、一言で言うと地球は聖星になるのが決まっていると断言しています。
つまり、意識的全一体の完成ということでしょうか。そして、その計画は誰もが変更することができないと言っています。それが、神の計画だからです。それがいつになるのかは私達人間一人一人の努力次第ということです。
つまり、地球は、神から選ばれた人が住む星になるということです。選ばれる人というのは、自らの努力で神性意識に目覚めた人です。それらの人々の肉体を通して神性意識が表現されるということです。その表現には愛と善意しか無いという人です。選ばれる人というのは、金持ちでも、王でも、権力者でも、大学者でも、有名人でも、容姿端麗な人でもありません。もちろんその様な人達の中にもその意識に達した人はいるかもしれません。その様な人達は神意識を表現できる器になった人ということです。しかし、その様な人は、無名で、ひっそりと暮らしている人達の中にこそいるのかもしれません。ある聖人は生命を「すべての僕であり、働き手である」と言っています。生命は久遠常在、不滅の実在であり、休み無く働いています。
また、神に選ばれるということを聞いて、そんなの平等じゃないとか、ある種の特権じゃないかと思うかもしれませんが、不平等でも特権でも何でもありません。なぜならば、努力を重ね続け、元々の自分に完全に目覚めた人のことだからです。覚醒するという意志を持ち続け、あらゆる困難に耐え、前に進む勇気を持ち続け、それらをやり続ける努力を怠らなかった結果、神意識と融合できたからです。元々は、皆の本質が神性意識なのです。あなたもわたしも本質であり、全一体なのです。つまり特別なんて無いのです。
「ハートが愛で満たされなければ愛の現れようがないからである」(ある聖人の言葉)
要するに、一点でも汚れがあれば神性意識と融合できないということです。努力を続けてここまで己の心を磨き上げなければならないのです。神が感じられないということは、自分の何かが間違っているのだと思います。

では、あらゆる魂の間における平安と愛と善意とはどの様な状態を言うのでしょうか。また、どの様にしたらそれを自覚することができるのでしょうか。
それは、どんな時でも、一人一人がお互いを、労り、思いやり、他を生かす意識になることです。あえて言葉にすると、これが神性意識です。本当は無限なので言葉にすることができないとのことです。一人一人が独自の方法で努力して実感するしかないと様々な聖人は言います。
私達人間は、観念、概念などを創り出し、それらに基づいた”何か”になろうとしています。でもそうではなく、元々の自分、本質そのもの、神性意識そのものを生きるしかありません。そのものを生きるとは、具体的に言うと、例えば、隣人を愛し生きることです。なぜそうするのか、それが理解できれば、一人一人が自分の本質が何であるかを完璧に自覚することになるのです。それは、真我覚醒して、そのものを生きること、真我顕現することです。
私達人間は、目の前の人に善意で接しているでしょうか。普通程度の親切さで接しているでしょうか。それらは、とても大切なことだと思います。もし、怒り、恨み、嫉妬で接しているならば、自分の意識状態は怒り、恨み、嫉妬そのものだということです。これが少しでもあるならば神性意識とは融合できません。融合する為には、一人一人が独自の道を努力して進まなければならないのだと思います。今いる場所で、行く場所で本質を顕現できる自分であることです。
私達人間にできることは努力だけかもしれません。簡単な様で非常に困難な道だと思います。金や権力、地位、名誉など、様々な自らを縛る誘惑という落とし穴だらけの道を進み行くのです。ホンモノらしく見えるニセモノに時間を取られて、無駄な努力にならない様に、何がホンモノかを見分ける識別力を養わなければなりません。ニセモノとは人間を人間から分離するものすべてのことです。
因みに私はこれはダメ、あれはダメなどと裁いたり否定しているわけではありません。
こういうことに気をつけなければならないのではないかということを言いたいのです。
一例を挙げると
「何でも跳ねつけないでありのままに見なければならない。そうでなければ解脱したことにはならない。人を咎めたり裁いたりしてはいけない。われわれが他人の中に見い出しているものは自分自身の中にも深く根を張っている。」(ある聖人の言葉)ということなのではないかと思うのです。だから、誰彼がどうのこうのではなく、自己改善が一番大切なのだと思います。それぞれがそれぞれの経験を通して学んでいるからです。余計なことをしてその人の貴重な学びを奪うことになるかもしれません。つまり、それぞれの限りある貴重な時間を少しでも自己改善に使う様にした方が良いのではないかと思うのです。
「昼間は兄弟姉妹の為に働き、夜は己の自己改善の為に少しでも時間を使う」ということではないでしょうか。

本質、生命(神)はすべてです。私達人間の目に見えているものすべてです。私達の肉の目に見えてないものすべてです。
「我、生命なり。」
意識状態がこうなった人が暮らす星に地球は変性するということです。別の見方をするならば、この意識状態の人しか地球で過ごせないということです。

「我肉体にあらず、我生命なり。」

この生命を、動物は本能として、植物は本質として、鉱物は親和力として、人間は愛情として表現しています。そして人間は自由意志があるために自ら創り出した思想、想念、など様々な仮想のものに縛られ自ら悩み、苦しみ、痛い思いをし、悲しみ、迷いの中で右往左往しています。こうして見ると、人間だけが神の意志からズレていることが分かるのではないでしょうか。自由意志があるからですが、要するに人間が地球の調和を乱しているということです。そして現実に、バランスを崩した状態が今の地球のあちらこちらに見られます。それは人間の意識が本質からズレているからです。つまり、自由意志で不調和を創り出し苦しんでいるということです。この自由意志で、元々の調和がどういうものかを思い出し、それを、思い、言葉、行為によって表現しなければなりません。私達人間一人一人がです。
聖人達は、
「貴神の御意志がわたしの中で果たされますように」と祈ります。なぜなら、それが至福の状態だと深く知っているからです。

終局は、真我覚醒した人達が「すべては神の血縁者である」ということを理解した上で、正しく自分の役割を果たし、真我顕現して暮らす愛一元の地球になるのだと感じます。
それは「あらゆる魂の間における平安と愛と善意である。」

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