線引き

意識

線引き
 全ての事について、それを許容するか、しないかの線をどこにしますか?
まずは、自分で意識してよく調べて考えて、それから意識的に線引きをするのがとても大事なことです。これくらいいいやという感じで誰かにやってもらうのはとても危険なことです。お膳立てしてあると楽ですが危険です。それがどんなに些細な事でもです。
 つい二年前の年末年始位までは、風邪をひいたくらいで会社を休むことは結構気が引けたのではないでしょうか。上司によっては「気合いが入ってない」とか「日頃の自己管理が甘い」などと言われたりすることもあったと思います。少し無理をして出社するのが当然みたいな雰囲気もあったのではないでしょうか。その際に、他人に迷惑をかけたらいけないと思い、マスクをした方もいるでしょう。もちろん自分の判断でしたのであって、誰からの催促も特に無かったと思います。
 私は接客業でしたので、お客様と対面する時は、咳をしない様に気をつけて、マスクを外して応対していました。マスクをしたままなのは少し失礼にあたるという雰囲気がありましたから。マスクをする、しないはほぼ完全に自己判断でした。
今の雰囲気はどう感じますか。今は全く違いますね。自己判断は論外みたいになってます。していないとおかしい人みたいな雰囲気になっています。誰も近くにいないのに道を歩く時に付けっぱなしだったり、それこそ家を出てから帰るまで付けっぱなしの人も多いのではないでしょうか。喉や気管支にカビが生えた人がいたそうです。私も写真で見ました。
 2020年の2月位までの“線“では、ある程度自己判断でマスクをした方がいいかなという感じだったと思います。次の線では、マスクをしましょうとなり、次の線では、駅構内、電車内、お店に入る時はマスクの着用依頼になり、その次の線では、ほぼ沈静化の数字になっても感染対策にご協力、ワクチン接種の有無で行動制限します、ワクチンパスポートを発行しますとなり今に至っています。冒頭の写真にあるこの様なパネルがあちこちに貼られています。余計なお世話のお膳立てです。ある意味、この様に生きましょうと言われているのと一緒です。私見です。ただ、これに対してどう感じるかが大切だと思います。
この様に、些細な事と思って何でも許容してしまうと、線がだんだん近づいて来て、自分の立つ場所すら無くなります。よく考えず、これくらいいいや、という感じでやると、だんだん線の内側が無くなります。無くなって困ったら、誰かの許可を得て線の外に出るようになります。
仕掛ける人達はそれを分かっていて徐々に自分の支配圏にしていきます。ある意味、天才的ですよ。どうですか、そんな世界は、嫌じゃないですか。私は絶対に耐えられません。パスポートとは勝手に設定された線引きと一緒なのですね。そんなの嫌だと感じたら、自分で線を引き直して自由度を広げましょう。
 この様に、自由を守るのは大変なのかもしれません。軸がぶれて気がつかなかったり、無意識でいると、気がついたら、奴隷になっているかもしれません。今は猛スピードでそのプロセスが進行しています。優しい支配者だったら多少の救いはあるかもしれません。強烈な支配者だったら地獄です。でも、支配者である事には変わりません。
では、どうすればいいのか?簡単です。“それは従いません“。この意思表示を一人一人がきちんとすれば良いのです。あとはテレビを見ない事です。
今、世の中で一番の極闇を演じているのは、MSMの経営陣でしょう。平気で嘘を垂れ流し続けられる神経の人達だし、どれだけ犠牲者が出ても全く動じないとは、凄いの一言です。
私は少し敏感なところがあるので、テレビのニュースを見ているとバイブレーションのズレを感じて居心地が悪くなります。最近は1、2分が限界です。消すか、その場を離れます。異なるバイブレーションに影響されてしまうので、私もまだまだです。なんだかんだ言って、ブレてしまいます。テレビから出ている、嘘にまみれた波動というのでしょうか、ダメですね。ザワザワします。
どこでも、どんな時でも、静心を保てたらいいなと思います。軸がぶれないということです。
いずれにしても、なんとなく言いなりになるのには気をつけたいものです。
“どんなに些細な事でも線引きは自分でする“
意識を広げましょう。

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