繋がり感と分離感

意識

繋がり感と分離感
 私達は全てと繋がっています。では、この繋がり感を感じていますでしょうか。
日々の生活をしている中で感じるのは、どちらかというと、分離感ではないでしょうか。言葉に出さなくても、差別したり、されたりというのはまだまだたくさんあるのではないでしょうか。容姿だったり、背が高い低いとか、学歴、仕事内容、住所、財布の大きさ、家柄など、差別に繋げやすい項目はたくさんあります。この差別するとか、されると感じる原因はその人の価値観に起因するところもあるのではないでしょうか。例えば、家が大きくて豪華、車もたくさんある人に嫉妬を感じるかどうかはやはり、価値観にあると思います。その様な豪邸や高級車などの様なものに価値を感じない人は、なんだかいろいろ手間暇かかって大変だな位にしか感じないかもしれません。要するに、自分のものの見方や生きる姿勢に起因している様に思います。どうしてもそれが欲しいならば、働いて稼ぐしかありませんね。でも、思い通りにいかなければいろいろ葛藤して苦しんでしまうと思います。それはそれでいいのだと思います。人間は、何かに気づくまでそのプロセスが自分に必要だからです。私も散々やってきました。そして今は、まずは、現状を認める事が出来ればその先のことが、もっとスムーズに進むようになっていくと思っています。私はそんな感じがします。
 私達一人一人は、例えるとジグソーパズルのピースです。形がそれぞれバラバラです。他に譲ることができない立ち位置を持っています。これが個性です。他の人が決してその立ち位置にはなれません。それで、一人一人がその立ち位置を保つことで、全体が成り立っています。でも、ピースからは全体は見えません。
つまり、自分だけの立ち位置があるのですから、自分をよく知り、大切な存在だと認識して、日々の生活を楽しんだらいいのだと、私は思います。そうしたら、分離感(差別など)が少なくなり、繋がり感をより持てるのではないでしょうか。
ただし、どの様な人とでも関わりを持ちましょうということではありません。どうしても波調が合わない人はいます。その様な全く違う波調に影響されない自覚があれば話は違いますが、なかなかそうはいかないと思います。そういう場合は、しっかりと識別して、敬して遠ざけるのが良いと思います。ですから、この場合は、分離(差別等)ではなくて、識別するということですね。
もしかしたら、私達は、絶えず変化し続けているジグソーパズルの様なものなのかもしれませんね。各ピースも変化するし、それが収まる様にまわりも影響を受け続けているということなのでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました