罪悪感

意識

罪悪感
 誰もが抱いたことのある感情だと思います。人によっては、一生抱えながら生きる方もいるのではないでしょうか。なかなか難しい感情です。バイブレーションとしては、羞恥心とこの罪悪感が一番低いそうです。
 例えば、経済的にあまり余裕のない家庭の場合、親は子に、自分の能力が無いばかりにこんな生活をさせて、ごめんねという気持ちを持つことがあると思います。子は、そんな気持ちを察して、いろいろ自分の事でお金がかかって申し訳ない気持ちを持つ人や、逆に責める人もいるでしょう。
また、肉体的、または精神的に、人を傷つけてしまい、自分を責め続けている人、悔やんでも悔やみきれない状況が続いている人などもいると思います。それは、お付き合いしている人、お付き合いする前の段階の人の場合、振った相手、振られた相手に対して、怒りの感情は起きると思いますが、次第にその怒りは収まり、人によっては、次に自分の悪いところを探して、思いついたものを次から次へと落ち込みの材料にしてしまう人など、いろんな人がいると思います。
 ここからは、宇宙の仕組みとは、たぶんこの様な仕組みになっていると仮定しての話になりますが、当然受け入れられない人も、たくさんいると思います。ですから、あくまでも一つの考え方として、こんなのもあるのだな位に捉えてください。場合によってはスルーして頂いても構いません。
 私は、一人一人、自分が人生の、主人公だと思っています。私も、あなたもです。これについては、またいつか話します。
今、私達が日々やっている事は、自分の本質が、地球の法則で制限されている環境を選び、ここならではの経験をしに来ているのだと思います。その地球での生、誕生から肉体死までの大体のあらすじ、いつも言っている、ブループリントを描いてきています。それを一つの舞台とすると、その舞台の、主要な登場人物も、有る程度決められていて、しかも、お互いに、どの様な役をするか、合意しているのだと思います。しかし、私達は、全ての記憶を忘れていますから、七転八倒する思いを、ストレートに味わい、その経験を、何度も積み重ねることにより、大元に近づいて行けるのだと考えています。ですから、この一生の中で、目の前に起こる事象は、自分の本質の設定でもあり、ゆえに、無駄なものは無いと思います。よくありますよね、こんなくだらない事と思うものが。でも、実際、その事象に対して、くだらない、という感情を持ちましたから、やはり、その一つの経験そのものが貴重な経験なのだと思います。それに対する反応の仕方は、今の、自分が持っているバイブレーションで反応したものなのです。それを意識して、こんな反応をする自分はどんなバイブレーションなのか考えてみるといいかもしれません。同じ様な事象に対して、人それぞれ反応が違うし、しばらくしたら自分の反応も変わっている事に気づくでしょう。レーダーを照射しているようなものです。その波調が精妙になればなるほど、情報量が増えるのだと思います。なんだか、面白いものです。そうやって大元に近づいて行くのだと思います。大元はどれだけ精妙なのでしょうか。
 今、話したことは、一つの思い込みかもしれませんし、たぶん、そうなのだと思います。しかし、この考えもありかなとすることができれば、凄く苦しい罪悪感を、ずっと持つ必要はないのかもしれない、と思うことができるかもしれません。もっと、自分を愛しましょう。自分が、悪いことしたなと思っている相手も、シナリオの中で、合意済みの役を演じ、その経験からの感情を味わいたかったのかもしれません。
つまり、ものの見方を、少し変えることが出来たら、生きる姿勢も変わると思います。それが出来るのも、一人一人のタイミングというものが、あると思います。だから、あまり、焦らず、目の前の事象を、自分に必要な事として、淡々と対処していけばいいのだと思います。つまり、あるがまま、なるがままなのです。なるようになりますように、です。

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