自分がしていることを意識する

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自分がしていることを意識する
 自分が毎日の生活でしている事を改めて意識したことはありますか。唐突ですが、この事は、最近、私が改めて大事な事だと再認識させられた事なのです。
私達が毎日している事として、いくつか例を挙げてみます。まず食べることがあります。食事は時間通りに必ずするようにしている、朝昼晩三回きちんと食べているとか、必ず晩酌をする、必ずデザートを食べる、寝酒をする、食べることとは少し違いますが、睡眠薬を飲んで寝るなどがあります。
運動に関しては、何かを決めて、毎日やっていることがあるという人は多いと思います。例を挙げると、ウォーキングやジョギング、筋トレ、ヨガ、ラジオ体操など、それ以外にもいろいろなものがあると思います。
家事に関しては、自分は仕事をしているからまったくやらないとか、逆に、自分のことは自分でほとんどしているとか、言われたことはやる、気が向いた時だけやるなど、これに関してもいろいろあると思います。
仕事に関しても、自分のデスクの掃除をしてから業務に入るなど、それぞれのルーティンがあると思います。
それらのことの中で、家族や他の人から、”やめて”とか、”控えて”とか、”ほんと好きだよね”とか、何かしら指摘される様なことを言われたことは誰もがあると思います。
でも、人は、やめろと言われると、ますます意固地になってやり続けてしまうところがあります。何か言われても、ただ無視してやり続ける人もいます。言われた理由を聞いたりして納得すればいいですが、自分には自分のやり方があるからとやり続けたりする人の方が多いのではないでしょうか。自分の気持ち的には、”別に迷惑をかけているわけじゃないし、好きでやっているのだからほっといて”という感じになるのではないでしょうか。

何を言いたいのだろうかと思ったでしょう。

それは、”私達人間は、自分が執着していることに気付くのはなかなか大変”だということ、また、”良くも悪くも、他の何かに流されている状態に気付かないまま生きていることがある”ということを言いたいのです。
 毎日している事には、好きでやっている、気を紛らわすためとか、唯一の楽しみだからとか、これが無ければ始まらない、これに関しては誰にも負けないなど、それぞれの理由があると思います。さらに、それを、”上手だね”とか”凄いね”などと言われたりしたら、嬉しくなったり、有頂天になったりして、ますますやめられない気持ちになるかもしれません。本当は”そろそろやめようかな”などと思っていたのにです。
その様に、少しでも、気持ちの変化を感じることや、何かのきっかけがあったときには、改めて、自分のしていることを意識してみるといいと思います。そろそろ学びのステージを変えましょうか、というシグナルかもしれません。たぶん、そんなシグナルに気が付かず、一度や二度ではスルーしてしまうか、何も感じないかもしれません。でも、ハッと感じるタイミングが来るときがあります。それは、とても大事な瞬間だと思います。そこで、しっかり自分のやっていることを意識できたなら、自分は今までなんて事をしていたのだろうとか、もうそれをする時間が勿体ないと感じたり、家族や他の人に長年迷惑をかけていたことに気付いたり、これはもう自分には必要が無いことなどと感じるかもしれません。
ここで重要になるのは、切り替え力です。やめるか、続けるか、どうしようかを一瞬で決める人、一時間の人、丸一日の人、一週間の人、一か月、半年、一年かける人などいろいろだと思います。その違いは、執着の度合いかもしれません。性格など他にも事情はあるかもしれません。いずれにしても、その様に意識すると何かの気付きが来る場合があります。それだけ私達人間は、なんとなくしていること、ただいつもやっているからとか、三度食べるのが習慣だからなどという感じで、語弊があるかもしれませんが、何も考えずなんとなく生きているところがあるのかもしれません。しかし、私は、今生きていることには、きちんとした理由があるのだと感じています。
初めに例を挙げた、食べることに関してですが、本当に三度きちんと時間通りに食べないと大変なことになると思いますか。誰かが言っているから、テレビで言っているから、医者が血糖値が上がるからとかなんとか言っているからなどの理由ではないですか。自分の体が本当に欲してますか。三度きちんと時間通りに食べてて、実は検査で引っかかっていませんか、肥満気味ではないですか。なんとなく体調が悪いと感じていながら同じことを続けていませんか。本当は食べるのを減らそうと思っていませんか。
でも、改めて意識してみて、自分は今のままでいい、体調もいいし楽しいからこれでいいと感じたら、それでいいのかもしれません。人それぞれどうするか自分で決めているということです。流されていても最後の決断は自分でしています。だから自己責任なのです。それを意識した方がいいのです。ただ、誰かが一律的にしようとしている流れ、つまり、煽りに乗ってしまっていると感じた時は、どうするか真剣に考えた方がいいと思います。盲目的に従う結果になることは、全体に影響を与えることになるからです。
例えば、最近は天気予報でも、”今日は上着がいるでしょう”、”傘を持って行った方が良いでしょう”などとやっています。皆さんは、これに違和感を感じませんか。そもそも、暑さ、寒さの感じ方などは人それぞれです。その感じ方に合わせて何を着るかを決めます。この様な報道の仕方に違和感を感じないで、あたりまえに、天気予報で言っていたからそれを着るなどとやっていたら自分の大事な切り替え力が麻痺してしまうかもしれません。私にはこの様なテレビのやり方を、”余計なお世話”と感じてしまい、非常に違和感を感じます。この様に、自分で意識しないでやっていると決断力や切り替え力を失い、ロボット人間になってしまうかもしれません。今の世の中には、本当に他の人をロボットの様にしてしまいたいと考えて行動している人達がいる様です。困った人達がいるのですね。
たしかに、至れり尽くせりというのは、楽なところがありますが、意識してやるならいいですが、楽だから、なんとなく、皆んなやっているから、何も考えなくていいからなどの理由で無意識にやることには、一番危険なことが孕んでしまうと思います。私は、この様なことに気付かなくなった人がたくさんいる社会は、後々どこかで思い知らされる時が必ず来ると思います。実はもう来ていると感じます。あたりまえの自由を失う瀬戸際まで来ているのかもしれません。だからこそ、今自分のしていることを意識することがとても大事なことなのです。
 この世の知識は、必ず誰かのフィルターがかかっています。教科書が間違っていたり、ある方向への誘導が目的だったらどの様な事になるのでしょうか。それに気が付かずただ従っていたらどうなるのでしょうか。今の様になってしまうのです。でも、まだ、ぎりぎり間に合うかもしれません。踏ん張りどころです。
本当は、実際に感じてみることや直接感じることで、生きる上で役立つ知恵が身につくのだと思います。何でもかんでもそうするのは難しいと思いますが、少しずつ自分で実感や直感を用いて知恵を得るように意識してみたらどうでしょうか。少なくとも騙されたり、言いなりになることが減ると思います。知識が悪いと言っているのではありません。本を読んだり、講演会で話を聞いたり、テレビを見たり、ラジオを聴いたり、ネットを見たりして得た知識は、必ず他の人のフィルターを通したものです。その事実を理解した上で、自分のしていることを、改めて意識することがとても大事な事だと思うのです。

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