自分を知る

意識

自分を知る
「私は光、私は愛、私は真実、I am」
これが、その答えかもしれません。オーストラリアのblossom goodchildさんが言ってるマントラです。

 大昔から、多くの人が、”自分を知ることは重要なことだ”と、言い続けています。私も非常に重要な事だと思います。多くの宗教家、哲学者、大学教授、周りにいる身近な人など、いろいろな人達が言っています。”己自身を知れ”と言っていたギリシャの哲学者もいました。
自分を知る方法としては、座禅を組む、瞑想をする、人の振るまいを見る、事象に対する自分の反応を意識する、などいろいろ言われてきました。しかし、実際に、何をどうしたらいいかわからないと思って、やめてしまう人も多いのではないでしょうか。また、「端からそんなこと気にしないし、なぜそんなことをしなくてはならないの、自分のことを知らない人なんているの、自分のことは自分が一番知ってるよ」という人も結構いるのではないでしょうか。でも、本当に知っているのでしょうか。私は自分の内へ内へと入ってみないとよく分からないのではないかなと思います。
また、知ろうとする人、しない人、それぞれいますが、それも、その人の”今の自分”ということです。良い悪いではないです。ただ、誰にも、知ろうとするタイミングが、いつか必ずくると思います。
自分を知ろうとするかしないかの違いは、自分が、その瞬間瞬間に思うこと、また、相手がいれば、その人への反応の仕方、どんな感情を抱いたか、どんな言葉を使って反応したか、これら全てが、”今の自分”ということですが、この様なことをする”今の自分”を意識するか、しないかにあると思います。
知ろうという気持ちになるきっかけは、ふとした瞬間に来るのだと思います。それが来たら、自分を知ろうとする為に、難行苦行をしたり、世界一周したり、文学に傾倒してお酒に溺れたり、寺社仏閣巡り、お遍路さんしたり、などを始めたりするのだと思います。”自分を知る”ことを意識した行動です。またこれは、自分の本質を思い出すことにも直結すると思います。
何年か前の事ですが、私は”自分を知る”ために、上記の様な特別なことを、いろいろやらなくてもいいのかなと感じたことがあります。上記の様な事が無駄であると否定しているわけではありません。私自身、一人旅をしたり、文学作品を読み漁ったり、お酒に溺れたり、寺社仏閣巡りしたり、いろいろやりました。結果、私は外側を見ていたのかなと思ったのです。内にあるものを探すのに、的外れの場所を探していたのかもと思いました。そう思った時に、いろいろやらなくてもいいのかもと、ふと感じたということです。これは、私の場合の話しですから、何がきっかけになるかは分かりません。なので、自分がやりたい様にやればいいと思います。辿る道がみんな違うからです。今やっていること、それがその時に必要な事であり、それをしているのも”自分”です。自分を知るのに、近道や遠回りというのはないのかもしれません。その道をどう思うのかはその人次第です。
 結局、私達は、魂が経験したい事をして悪戦苦闘しているのです。それは、全てが貴重な経験です。何から何まで、無駄なものはありません。そして、私達は、あるタイミングで、”必要以上に悩まなくてもいいんだ”と気付く時が来るのだと思います。それはつまり
“自分が思うこと、そして、その傾向性”、”自分が話すこと、その言葉づかい”、”自分が行動すること、その姿勢”など、全部が”自分”だと気付いたら、必要以上に悩まなくなるということです。
そしていつかは、一昨日書いた様に、”私は光、私は愛、私は真実、I am”ということに気付くのだと思います。このマントラは、最初から、答えを言っている様なものだと思います。自分を知るには、このマントラを唱えるのが手っ取り早いかもしれません。

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