自給自足

生活

自給自足
 私は、個人的にですが、今少し感じていることがあります。それは、自分の生活全体を改めてよく見てみたら、あらゆるものや人に依存し過ぎているのではないかということです。依存というのか、お世話になってるというのか、お互い様ということなのか、などを感じながら、一方で、実は、私達の生活形態は、何か一律的に過ぎるのかもしれないとも感じています。
私は、家は賃貸マンションです。電気は東京電力から、ガスは東京ガスから、上下水道は水道局にしてもらい、食べ物は、ほとんどスーパーから、ゴミは世田谷区などに処分してもらう、という感じです。日本に住んでいる人はだいたい同じ様な感じだと思います。
では、これからほぼ完全に自給自足を目指しますとなったら、どうなるでしょうか。
家は持ち家か借家だと思いますが、借家は別として、持ち家にするには、自分で作れる人はそうそういないでしょう。やはり、住宅メーカーや大工さんなどに依頼する事になると思います。
家はクリアしたとして、電気は、それを使う生活にするのか、使わない生活にするのかを考えてみます。今自分の暮らし方を振り返ってみて、電気が無くても大丈夫な人はいないのではないでしょうか。電気が無くても、全く生活はできないことは無いのかもしれませんが、大抵の人は今の暮らし方を振り返ってみれば、やはり、電力会社に頼らざるをえないと思います。
では、ガスはどうでしょう。無くても大丈夫かなと一瞬思うかもしれませんが、お風呂をどうするのかという問題があります。私の幼少期の頃の様に、薪で沸かすお風呂を使える環境だったら、代替案を考える余地はあるかもしれません。
次は水です。飲み水は、余程環境の綺麗な所であれば、湧水や井戸水などで賄えるかもしれません。でも、かなりの難題だと思います。そして、下水の問題です。今はほとんどが水洗トイレだと思います。これから他のものに変更するとして、汲み取り式、肥料としての循環型、バイオトイレなどになります。こうなると、やはり自然環境がそれなりのところじゃないと選択肢は狭くなりそうです。食べ物についてどうするかですが、お米、味噌、醤油、野菜、梅干しなどは自前で全部作ろうと思えばできないことはないかもしれません。こうなると一日の多くの時間がこれらに携わる事に取られてしまうかもしれません。
ゴミの処理もどうするかですが、生ゴミはコンポストというのがありますが、これも環境がどうかで左右されます。それ以外のゴミは、燃やすか、土の中に埋めることなどが考えられますが、これも周りの環境次第になります。
こうして考えてみると、自分はいかにいろいろな人のお世話になって暮らしているか分かります。今の暮らし方は、長い時間をかけて出来上がってきたのが、改めて再認識できました。簡単に自給自足を目指そうと思ってもなかなかそれをするのには、今あるものを、いろいろ捨てたり、諦めたりしながらすることになりますから、冷静に考えたら、少しずつ自分にできるものをやっていくのが現実的なのかもしれません。
そして、もう一つ思ったことがあります。それは、初めの方に書きましたが、生活形態が一律化されているということです。あまりにも自前でできることが少なく、他からの供給が一つでも止められたら、生活形態が崩れてしまい、非常に不便を強いられるかもしれないことが予想されます。なんとなくこの現実に大きな違和感を感じます。不自由さとか、何かの圧の様なものを感じるのです。では、どうするか。
私は、完全自給自足を目指すのではなくて、自前でできることを探して、面倒くさがらずに、いろいろ工夫して、少しずつ、一つ一つそれら気が付いたことをしながら、自前でできることの数を増やしていこうかと思っています。持ち家の人、借家の人、マンションに住んでいる人、都会に住んでいる人、田舎暮らしの人などでは、それぞれ自前でできることや、するのが困難と思われることが違うと思います。それでも工夫を凝らせばできることは意外にあるかもしれません。それを諦めずにやっていけば、依存する先が減ると思います。そうすれば、少しずつ自前でできることが増えて、自由を取り戻せると思います。
やはり、全体的に一律のものは、便利な様に見えますが、それらは時間が経つと、どうしても、優越的地位を濫用する人達がでてきます。それが高じると、支配と従属に繋がります。私は、この関係には非常に危険性を感じます。なので、今も続いているこの不自由な世の中を、どうしたら、本来の自由な世の中に戻せるのか、これからもいろいろな視点から考えていきたいと思います。

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