裁かない
「美しい光はどこにでも散りばめられている。そのわずかな光を見つけられる人でありたい。」chie art
私達は、今生をどう生きるかシナリオを決めて生まれてくるそうです。親も自分で決めて生まれてくるそうです。
今生では、こういう親の元に、こういう顔、体を持ち、どういう事を経験するか、などを決めてくるそうです。
因みに、産まれ落ちるときのエネルギーが、「下り龍」、亡くなり帰るときのエネルギーを、「上り龍」というそうです。サポートしてくれるエネルギーということです。
自分で決めてきているのならば、毎日毎日目の前に起き続けているこの世の現象は、自分が経験しなければならないことになります。経験しようと決めて来ているわけですから。
楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、理不尽なこと、いろいろありますが、自分で決めているのなら、客観的に見て、淡々とこなしていけば良いということになります。
しかし、その自分で決めて来たという記憶がありませんから、最悪の場合、この世で一番不幸な私、みたいにもの凄く悩んでしまい、思わぬ結果を招いてしまうこともあるのでしょう。いわゆる、シナリオから外れてしまうということですね。そうなると、せっかくの学びが途切れてしまいますから、またやり直し、ということなのでしょう。たぶん、気がつくまで何回も何回もやり直しになるのでしょう。
ある意味、全員それぞれが主人公なのですね。自分が主役、その他は脇役、だったらなおさら何でも自分で決めてやれば良いのです。脇役に決めてもらうことはないでしょう。
要するに、全員一人一人が、これを経験すると合意して決めていて、脇役もその為に役を買って出ているのなら、究極、ものごとに良い、悪いは無くなっちゃいます。裁かなくて良いのです。まるでスクリーンの中の演技みたいですね。
この話が本当かどうかは分かりませんが、たぶんこの話は本当なのかも、とあたまの片隅にあるだけでも、生きるうえでの気持ちが、断崖絶壁から片足落ちそう、みたいなことにはならず、少しは気持ちに余裕ができると思います。
だったらあるがまま、なるがまま、やりたいように、思い切り生きた方が本質的には正解だと思いませんか。じつは、もうそのままでそうしているんです。
いいんですよ、どんな状況でも、自分で決めてるんですから。課題をクリアしたら次に行けます。
嫌だったら自分で決めて状況を変える、または、そのまま、もう少し嫌な状況を続けて感情を味わう、などなど。
やっぱり、自由意思をコントロールするというのは、凄く面白い、と思いません?
大切なのは、気づく、これの積み重ねです。
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