見つめる

世界

見つめる
じっと見つめてみてください。自分のことを。外見、顔の表情、心など全部です。
今の自分はどんな感じですか。最近の顔の表情は気がつくと同じように固まってませんか。太ったなとか、痩せたなとか、自分を見つめるなんて気にもしてなかったとか、自分のことなんかに構わないで時が過ぎてたりしますよね。特に何かに追われている時などは。
 やりたいことをしていると感じますか。
そうじゃないと感じますか。理由なんてよく分からないけど、夢中になっていると感じればそれは素敵なことです。時間を忘れて夢中になれるものなら何でもいいと思います。中今の状態ですね。
そしてそれは、人のためになることなのだろうかなどと、あえていろいろ考えてやるものでもなくて、気がついたら時間が過ぎていた、やっていて苦じゃない、なんとなく惹かれる、とその様に感じるものだったら、飽きるまでやりましょう。飽きたらその時がそれをやめるタイミングなのかもしれません。
その夢中になれるものが、今の自分の、楽で愉しい、なのかもしれません。
こうしたいからしている、ただそうなだけなのでしょう。このように心の赴くままにやっていると自分で決めてきた目的を思い出しますよ。心とは、自分で描いた今生のブループリントのかけらだそうですから。
 しかし、まだまだその選択肢を選べない人達がたくさんいるのが現状だと思います。
やりたくないけど仕方がないからやらざるを得ないと思ってやっているという人達です。
私もそうでしたから、つらさ、つまらなさ、自分に嘘をついている自覚を持ちながらの日々でしたから悶々と過ぎていく時間で、仕方がないの一言で無理やり納得させていました。人生こんなものなんだろうなんて考えてました。それならばお金を稼いで人よりいい暮らしをした方がいいと思い、そのために、出し抜くくらいの競争の中に身を置いたこともあります。まあこれはこれで学びになりますからやりたい人はやればいいと思います。でも住む世界は良くなりません。ギスギスした世界です。それなりの世界です。そんな時は自分を見つめるなんてことすら想像もしなかったです。そしてある時から本気で見つめて、私はそこにいるのをやめました。今思えばいつも何かしら絶妙なタイミングできっかけが訪れていたような気がします。身を任せてしまったらうまくいっちゃったという感じでしょうか。それでもなんとかなります。その方がなんとかなるのかもしれません。なるがままです。でも、なんとかなる、の基準は人それぞれでしょうけど。どんな状況になっても、私はまずは現状を受け入れます。こんなんなっちゃったとは考えません。そう考えると辛いですよ。否定しているわけですから。
昨晩、テレグラムでドイツの警官が自分の立場について話している映像を見ました。彼は、「本当はこんなことしたくはないんだ。私だって一市民だ。だけど、私には今出来ることはこれしかないんだ。妻には仕事が無いし、子供もいるし。仕方がないんだ。だから、私は命令を受けたらその仕事をする」というものです。そして、平和的なデモに参加している人を強権的に取り締まるわけです。本当は選択肢はたくさんあるのですが、自分を見つめられてないのですね。
この根っこにある原因の一つは、お金を稼がないと生活できないというものでしょう。世界中どこでも大体同じ様な感じじゃないでしょうか。
要するに、何もしなくてもお金がかかるシステムが頑強に構築されてしまっているからです。税金とか社会保険料等など、一般会計、特別会計、通貨発行権などの事です。現状があたりまえ、変だと思わない、思っても仕方がないとする人の割合が多いからなかなか変わらないのです。
何もしなくてもお金がかかるシステムは、よくよく細かく検証して行くと、とんでもないものだと分かります。私達はずっと認めてきてしまいました。システムの詳細はまた別の機会に書きます。ただこのシステムがもうすぐ決壊します。そうなると少し世界は乱れます。お前が悪い、あいつが悪いとなりがちですが、世界中のそれぞれ一人一人はその個性を元に役割を果たしてきたという側面があります。そこに目を向けて、お互い様のところが多分にあると認識して、できれば感謝しつつ、赦しあって、次の世界の構築に共に携われたらいいと思います。もちろん法に基づいてそれを犯してしまった人は相当の処罰を受けることになります。
そういう人もその時初めて本気で自分を見つめる事をするかもしれません。
一見何事もなく今まで通り時が過ぎ去る雰囲気もありますが、なんだか絶妙なタイミングが来る気配を凄く感じているのですが、気のせいでしょうか。

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