観念と実感

意識

観念と実感
「私達にはもうすべてが与えられている」
 私は、19歳頃から突然本を読む様になりました。それから今まで様々な分野のものを読んできました。そのときから本格的に”何か”
を探し始めたのだと思います。
学生のときは、本から得た知識ばかりで、いわゆる頭でっかちでしたから、行動が伴っていません。だから、思いと言葉や行動が伴わず、何もかもがうまくいかないと感じていました。そんなことの繰り返しで、自分で自分を精神的に追い詰めていた様に思います。自分が本などから得た知識に基く観念・概念が自分の目の前の現実に適合しないと、動揺してしまい、心が乱れるのはあたりまえです。
“実感を伴わない知識は人を殺すことがある”
ということです。
私が社会に出て仕事をするようになってからは、他人との接触が非常に多くなり、体験、経験を通して、様々なことを実感することが増えました。本から得た知識など役に立たないことが多く、それが邪魔にさえなるということが分かり始めました。人間には、この実際に感じることや直接感じることが大切なのです。仕事をする様になってからは、あれやこれやで喜怒哀楽を濃密に味わいながら一日が物凄いスピードで過ぎていきました。それでも、まだまだ観念、概念を基準にしてましたから、自分の軸が定まらず、あちらへ行ったりこちらに来たりという様に、相変わらず本からの知識や、他人の話など、外側の情報に振り回されてフラフラしていました。そんな地に足がつかない状態を、お酒で紛らわせていました。そんなことに時間を使ってしまい、なんてもったいないことをしたのだろうと思うこともありましたが、今は、私にとっては必要な時間だったと感じます。一点の執着を捨て去るのに、これだけの時間とお金と体験が私には必要だったということです。執着していることに気付くということが、こんなにも大変なことなのかと思います。人から何を言われても直らないことがあるのです。己自身ではっきり気付くまで直らないことがあるのだということです。
一度身に付いた観念・概念というものは、本当に厄介なものだと思います。なぜなら、実感もしていないのに、自分が信じ込んでいる観念・概念で物事を判断し、疑問も持たず押し通そうとすることが多々あるからです。これでは、対立やトラブルを招くのも当然だと思います。何十年もそんな生活をしてきて、本当に、いろいろな経験をしました。
しかし、どんなに荒れた生活をしてても、ある一線を越えることはしませんでした。それは、妻を裏切ることや、薬物、詐欺的なことなどには絶対に手を出さなかったことです。とにかく儲かれば何でもいい、などという考え方には違和感を感じて、後先考えずに抵抗してきました。たぶん、私にとって、これらの違和感を感じたことを決してやらなかったのは、それらを既に前世のどこかで経験して乗り越えていたのだと思います。
その様にいろいろ経験してきましたが、どうしても真に求めているものが見つかりませんでした。
転機になったことがあります。それは、三年続けて、父、姉、母が次々に他界したことです。それをきっかけに、それまで頑なに避けていた精神世界の分野の本を読む様になりました。入り口は東京大学名誉教授の矢作直樹さんの本です。その時のことは以前「制限解除」に書きました。それからは、堰を切ったように、いろいろな人が書いた精神世界の本を読み漁りました。しかし、何年もの間、しっくりくるものが見つかりませんでした。
昔から、特定の人を絶対視することはせず、人の意見とは、誰でもその人のフィルターを通したものであると受け取る様に心掛けてきました。何でも自分で考えるようにしたり、誰にも依頼心を持たないようにすれば、その様な心掛けはできると思います。
肉親の他界とは、やはりインパクトの大きい出来事です。特に人の生死について深く考えたことがなかったり、それに対する自分なりの考えを持たない人にはインパクトは大きい様な気がします。私は自分なりの考えは持っていました。持っているつもりでした。しかし、その場になってみたら、今までの生死に対する自分の観念・概念などは役に立ちませんでした。それが為に、もっと納得できる答えが欲しくなったのです。いろいろな人の話を聞いたり、読んだりして、気になったことを、自分の日々の生活の中で実感できるように意識してきました。そして、その実感を積み重ねることで、ずっと探してた答えにたどり着いた様な気がします。あとは、もっと体験を積み重ねて、それらの認識を揺るぎないものにしていく努力をしていくつもりです。
 ”私達にはもうすべてが与えられている”と冒頭に書きました。つまり私達人間は、自分で思っているよりも、ずっと”凄い存在”だということです。別の言葉で言うと、私達人間は命そのもの、愛そのものであり、それが自分の本質だということです。生も死もなく、ずっと実在しているのです。それが実感として分かれば、悩み、苦しみ、怒りなど無くなります。他との分離意識がなくなります。そして、それを実際に感じたり直接感じたりして、完全に自覚した人が、真に、この地球での生を楽しめるのだと思います。自分は愛そのものだと完全に意識できたら、愛そのものを生きることになります。それは、他を生かして生きる人です。その様な人が増えたら地球はどうなると思いますか。

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