運命と宿命

意識

運命と宿命
 人間には、一生の間に、自分にとって、インパクトのある出来事が、何度かあると思います。それは、以前書いた”集中講義”の様なものです。これらの出来事には、始まりがあり、取り組んでいる間は必死だったり、夢中だったりなので、終わってみて、初めて表面意識にとって、良かった、悪かったが分かるものです。しかし、魂的には、始まりから終わりまで、生前シナリオに描いてきたことを経験しているだけなのだと思います。こんな経験をして、こんな感情を感じてみたいという様なものでしょうか。だから、魂的には、その出来事の始まりから終わりまで、丸ごと必要なことなのでしょう。表面意識的には、その出来事のインパクトが、良くも悪くも大きいものであればあるほど、”これが運命なのか”と感じたりするものだと思います。そしてそれは、その通り、自分で描いてきたシナリオ、運命だということです。
表面意識にとって、良かったとか、悪かったとか感じた事だったとしても、魂的には、いずれにしても満足なのかもしれません。自分で描いてきたことだからです。つまり、何が起きても自己責任ということになります。全ての原因は我が内にありということです。
 運命という字は、運ぶ命と書きます。自分を、シナリオに基づいて運ぶのです。自分で決めているから、変更も可能です。
宿命は、宿る命ですから、今の魂的レベル、つまり、自分の本質の位置みたいなものでしょうか。そこには、自分の本質が刈り取らなくてはならない課題のようなものがあるのだと思います。この課題を宿命と呼んでもいいかもしれません。運命より少し重いですね。これをクリアしながら、大元へ戻る道を進むことが出来るのだと思います。だから、中には一気に次元上昇を図る魂もいると思います。やり方を聞いた事がありますが、誰にでも適用されるのかは分かりません。
私達、表面意識の人間は、この様なことの記憶を消されてますから、どうしたらいいのか全く分かりません。なので、手探りになりがちです。だから、必要以上に悩んだり、絶望したり、我欲を優先したりして、余計に混乱してしまうのですね。でも、この世は、こんな仕組みですよと分かれば、本当かそうでないかは分かりませんが、少しは気持ちに余裕ができると思います。
要するに、私達、地球上の人間は、あまり思い悩まず、とりあえず、あるがまま、なるがまま、これでいい、それでいいというスタンスで、日々暮らせばいいのだと思います。それ以外のやり方に気がついたら、それをやればいいと思います。もしその様なものがあれば、私にも教えて欲しいです。いずれにしても、シナリオが分かってしまったらつまらないです。カンニングになってしまい、課題解決にもなりませんから。
私達は、宿命を何とかするために、自分で運命を設定して、何回も転生しているのかも知れません。

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