風に吹かれて

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風に吹かれて
 自分の人生とは、ある意味、その時吹いている風に吹かれて、あっちに行ったり、こっちに行ったりしているに過ぎないのかもしれないと、ふと感じることがあるのではないでしょうか。
私は、ほんの少しだけ、違った見方をしています。”風に吹かれて”は、それはその通りだと思いますが、その風は偶然ではなくて、自分が、どの風に吹かれるかを選んでいるのだと思います。なぜなら、今生の、自分で描いた、ブループリントのことを信じているからです。毎瞬毎瞬自分の選択だという考えです。そして、大元の計画には逆らえないと思いますが、細かいところは、ある程度、見逃してもらっているというか、何も言わず見守られているという気がします。
私達はみんな、大元からの分け御霊です。自由意思があるので、ある程度までは、好きな様にしてられるのだと思います。しかし、大元が判断したら、私達が知らない”秘儀”で、一気に元のところへ戻されるのかもしれません。それは、別に怖いことではなくて、元々いた世界に戻るだけなのかもしれません。
もし、そうなら、何も恐れることはなく、あるがまま、なるがままで、今を楽しんだ方が良さそうな気がします。楽しむというと語弊があるかもしれませんから、もっと積極的にいろいろ経験をして、様々な感情を味わった方が良さそうと言ったらいいでしょうか。
 私達は、永遠の存在なのだそうです。今の意識が、ずっと続くということです。もし、そうならば、好きな人が近くにいて、大事にして、仲良くして、出来るだけ、楽しく、嬉しい、調和のとれた気持ちをできるだけ維持できる方が素敵なことだと思いませんか。戦ったり、競争したり、それでギスギスして、勝った、負けたで、怖い思い、嫌な思い、妬み、嫉み、策を巡らす為の嘘などの不調和な想念よりも、断然心地良いと思います。
スピリチュアルな方達の中には、「私達は、不調和な世界で、たくさんの経験をして来ました。そこからは、たくさんのことを学びました。もう幼子ではないのです。だから、それは終わりにして、元々いた調和の世界に移行し始めているのです。そしてそれは、大元が決めたのです」という言い方をする人がいます。大元が決めたことなら必ずそうなります。いつになるかは、自由意思を持つ私達次第です。そして、私はこのことを信じています。でも、具体的にどの様になるのでしょうか、そして、私達はどうしたらいいのでしょうか。
 最近、私は、猫を見てて、いろいろ教えられました。寝たくなったら寝る、食べたくなったら食べる、散歩したくなったら自分のコースを歩く、そしてそれが、意外にも、規則正しい生活だったりするのです。これが、地球の生き物の自然な姿なのかもしれません。こう言うと、「いや、それは何かおかしい」「人間は食べるために働かなくてはならないし、そんな怠惰なことでは、全体がだめになる」「人間は、犬や猫とは違うんですよ」と思う人がたくさんいると思います。でも、本当にそうでしょうか。他の生き物から学べることがあり、本来の姿を思い出させてくれる何かがあるのではないでしょうか。
私は、地球の生き物は、地球から、生きるために必要なものを、実は、全て与えられていると考えています。ですから、何も奪い合う必要はないのです。でも、人間だけは、必要以上に奪い合っています。これは否定できない事実だと思います。そんな今の人間の暮らし方というのは、地球から見たら、もしかしたら、何かおかしいと感じているのかもしれません。「なぜそんな変なことをして、自ら苦しんでいるの?別にやりたいならやればいいけど、元に戻れば、楽しく毎日暮らせるよ。必要なものは全部あるし」という地球の声が私には聞こえてきます。そんなことを、これからは少しづつ思い出しながら、調和のとれた地球に変わっていくのだと思います。それに乗れる人、乗れない人が出てくるのかもしれません。なぜならば、選択の自由がありますから。そういうことなのかもしれません。
 私は、散歩中に、よく猫に出会います。そんな猫を見てたら、猫達が選ぶ、そんな”風に吹かれてみたい”と思いました。そんな素直な生き方は、本当に素敵なんだな、ということを思い出させてくれた気がします。

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